ませぬ。如何に相手に真剣の愛を注いでいる如く如何に巧《たくみ》に装っているにしても、同時に一方に一件の事を思い出さぬわけには行きませぬ。
 すべて知られてならぬ事は、知られてならぬ場合に限って特別にハッキリと心に浮かむものであります。長い事忘れていた借銭でも、貸した奴の顔を見ると忽ちに思い出すようなもので、まことに生憎千万なものであります。
 色事なぞは取りわけても左様《さよう》なので、隠そうと思えば思う程ハッキリと思い出します。
 真剣になろうとすればする程アデな調子になります。
 そこでそこいらが何となくクスグッタクなる、コソバユクなる。「ウフン」とか「エヘン」とか「オホン」とか「ウニャムニャ」とかいう誤魔化し気分、又はその当時のモテ加減なぞを思い出して浮《ふ》っかり出た「ニヤニヤ」とか「ウフウフ」とかいう気持ちが、鼻の表現の中《うち》を往来明滅するのを禁ずる事は出来ないのであります。
 このような場合には相手の婦人が鼻の研究者でない限り、又は余程の明眼達識の女性でない限り、もしくは特別の注意を男性の表現に払っていない限り気が付かないのが普通であります。しかしこれは有意識にそれと突
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