ソックリそのままその人の全人格の感じと認められている場合がたまにあるようであります。つまり鼻の恰好も一つの表現として見れば見られぬ事はないようであります。しかし鼻の方向や位置がその人の意志や存在を示す場合と違って、鼻の恰好が即ちその人の人格の表現であるとイキナリ決定して了《しま》うのは、あまりに早計でチト物騒ではあるまいかと考えられるようであります。
近来西洋では、
「学問のある女性の鼻の方が、学問の無い女性のそれよりも高い」
という統計が出来ているそうであります。つまり鼻の低い女性でも学問さえすれば鼻が高くなるという……まるで落し話しでありますが、「その人類の文化程度は建築物の高さとあらかた一致する」というのと同じ論法で真面目に伝えられているそうであります。
そんなところからみれば鼻の形と人間の素養、性格なぞとはまるきり関係が無いとは言えないかも知れませぬ――否、大いにあってもらいたいものであります。
学問のある人の鼻は高く、人格者の鼻は端正に、無学文盲の鼻はヒシャゲて、悪人の鼻はねじくれていたら、世界の文化はどれ位向上し、人類の生活はどれ位幸福になるか知れませぬ。さらに今一
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