も権威も認められぬという事であります。
 しかし如何程この意見を固守される方でも、御自分の鼻が御自分の向って行かれる方向を示している事だけは相違なく御認め下さるであろうと信ぜられます。
「どこへ行くんだ」
「鼻の向いた方へ」
 なぞいった調子で、鼻がその持主の行く方向を示す事、船の舳《じく》と同様であるという事は、三尺の童子と雖《いえど》も容易に認め得るところであります。
 同時に鼻が時々自分というもののすべてを代表する意味に於て認められている事も明かな事実であります。
「この鼻様がいるのを知らぬか」
 とか、
「この鼻を見忘れたか」
 なぞいう古い科白《せりふ》もある位で、大抵の場合自分というものを示す全権公使には鼻が指定されるようであります。
 この二つの実例は何でもない事のようでありますが、鼻というものの表現……否、その鼻の持主のすべての表現と絶対の関係を持っているものであります。
 しかし普通の場合に於てはそこまで重大な意義を認められておりませぬ。極めて軽い意味で前者は本人の意志を表明し、後者はその存在を提示するもの位にしか考えられておりませぬ。

     その恰好と人物
 
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