いでなければなりませぬ。この忙しい世の中に自分の鼻を睨んで考え詰めるというような人は滅多にあるまいと想像されます。
 実際上世間では千人中の九百九十八人か九人位までは、生活の問題とその慰安|或《あるい》は特別のお楽しみ筋なんぞのために寸暇も無い位頭を使っておられるように見受けられます。
「鼻の表現なんてあるかないか当《あて》になったものじゃない。あったにしたところが、持って生れた親ゆずりの鼻だ、動きの取れない作り付の鼻だ、鼻だけに惚れる奴がありゃあ格別、今日迄鼻の御厄介になって飯を喰った覚えはない。どうなろうとこうなろうといらざる心配だ。鼻の落ちない苦労だけで沢山だ。鼻の下の方がどれ位大切だか知れない。ひとの鼻の世話を焼いてるより自分の鼻糞でも掃除してろ」
 とお叱りを受けそうであります。
 こうなると鼻も可哀相で、折角顔のお城の御本丸に生《う》ぶ声を挙げながらとんだお客分扱いにされてしまいます。

     方向と位置と
       ――鼻の静的表現(一)

 こんな御意見は詰まるところ、
「鼻は無いと困る。見っともなくて極りが悪いから」
 というだけで、それ以上には鼻の表現の価値
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