鼻というものは舞台の中心に置かれた作り物と見るべきが至当で、その場面の表現は他の役者が遣るからその作り物にも意義が出て来るのと同じわけのものではないか」
 この二つの疑問や反駁は詰るところ同じ意味で、誠に御尤《ごもっと》も至極な理屈と申し上げなければなりませぬ。
 事実上鼻はヒクヒクと動いたり、時々赤くなったり白けたりする外何等の変化も見えませぬ。
 仮りに「鼻の表現というものがあると云うから一つ正体を見届けてやろう」という篤志家があって、他人と向い合った時なぞに相手の鼻ばかりをギョロギョロと見詰めておられたとします。生憎《あいにく》な事にはそんな場合に限ってかどうかわかりませぬが、とにかく相手の鼻は何等の表現を見せませぬ。色や形を微塵もかえませぬ。
 これに反して眼や口や眉は盛んに活躍します。その表現はその変化の刹那刹那に悉《ことごと》く鼻を中心として焦点を結んで、こちらの顔に飛びかかって来るように思われます。
 しかし鼻はそんな場合でも吾不関焉《われかんせずえん》と済ましております。まるで嵐の中《うち》に在る鉄筋コンクリートの建築物のようで、只風景の中心の締りにだけなっているかの観
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