は歴史の推移転変から小は個人同士の離合集散まで、殆どこの「鼻の表現」に依って影響され支配されぬものは無いときまったら、そもそもどんな騒ぎが持上るでしょうか。
鼻に表情があるということすら信じ得ない程に常識の勝《まさ》った人々には、とてもこんな事は信ぜられますまい。要するに一種の詭弁《きべん》か又は思い違いの深入りしたものに過ぎぬ。邪宗信者の感話位のねうちしか無い話である。現代の文明社会に生きて行く人々又は芸術家なぞが真剣に頭を突込むべき問題でない。肩の表現すら西洋人に及ばぬ日本人が「鼻の表現」なぞ云い出すのは、一種の負け惜しみか山っ子ではないか位にしか考えられぬであろうと考えられます。
古人の研究
――鼻の動的表現(二)
鼻の表現の存在、表現の方法、及びその価値に就いての研究応用、及びその影響は昔から鼻が閊《つか》える程存在している事は前に申述べた通りであります。
その権威は厳として宇宙に磅※[#「石+薄」、第3水準1−89−18]《ほうはく》し、その光輝は燦《さん》として天地を照破し、その美徳は杳《よう》として万生を薫化しております。唯これ等の事実が
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