無意識の裡《うち》に認められて、無意識の裡に行われておりまするために、今日鼻の表現なる言葉を標示する事が、甚だ事新しい奇異な感じをそそるに過ぎないのであります。
 事実上鼻の表現なるものに就いて真正面から堂々と論じてある例はあまり見当らないようであります。
 しかしそれでも鼻という文字や言葉を使って鼻の表現の存在、方法、価値なぞいうものを端的に裏書してある実例はかなり発見する事が出来るのであります。
 劈頭《へきとう》第一に掲げなければならぬのは、能楽喜多流の『舞い方及び作法の概要』と名づくる心得書の中に示されてある「鼻の表現」に関する一|齣《せつ》であります。
 既に人が舞台に立って舞いを舞うという場合にその姿勢をどうしたら乱さずに保てるか、その眼や口の表現は如何なる心の落ち着きに依って正しく発露する事が出来るかという事から芸道の活き死にを説明してある中で「鼻」という項にこんな事が書いてあります。
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鼻は不動のものなれば心するに及ばざる如くなれども、鼻うごめかすと俗にも云ふ如く心の色何となく此処《ここ》に映《うつ》るものなり、心に慢《おこた》りある時の如き最もよ
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