も希臘型というのが原則として認められております。
 そのために又ここに一つの鼻の表現に対して大きな誤解を持っている人が頗《すこぶ》る多い事になって来ております。
 即ち鼻は絶対に静的なもので、眼や口なぞのように動的な表現力は全然持っていない。耳と同様に一種の飾りに過ぎぬものと昔から認められている事であります。逆に云えば、人間の意志や感情又は性格なぞいうものは何の影響をも鼻に与え得ないという事になります。
 これは一般の人々ばかりではありませぬ。かなり進んだ頭を持った芸術家でも同様であります。芝居のお化粧なぞを見ましても鼻の動的表現の方は初めから問題にしないで、只鼻の恰好に現われる感じばかりを活《い》かすべく苦心されてあるように見えます。
 喜怒色に現わさずという事をすべての修養の根本、社交の第一義とまでに尊重して来た東洋の人々を相手とする芸術家の間に「鼻の動的表現」が問題とならぬのは、無理からぬと云えば云えぬ理由もあります。しかしこれと反対に表情を極度に誇張しようと努めている西洋の芸術家や婦人達の間にも「鼻の動的表現」、言葉を換えて云えば「鼻の表情」とでもいうべきものが独立して研究され
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