表現は理屈では認められぬ、ただ事実上にのみ存在し得るという事を深く深くうなずかせました。
法廷のそこここに溜息の評が洩れました。月の神はさらに議論を続けました。
「但し、これだけの事実は認められます。ダメス王の鼻が王自身の表現界の王であった事は、恰《あたか》もダメス王が埃及《エジプト》国の王であったと同様でありました。王の顔面の表現機関は王の鼻の左右大臣であり、その他の全身各部の表現作用は、その召使であり奴隷でありました。しかしこれ等の事実は、そのままに動的表現が不可能である事を証明していたのであります。王の鼻はこれ等の表現の補助を受けなければ、何等の動的表現もなし得なかったのであります。そうしてこれ等の補助機関が細かに動き得れば得る程、王の鼻の表現は殖《ふ》えて行ったのであります。
ダメス王の鼻は、王の意志、感情、性格、その他王自身に就て、王の知らない事共までも存じていると申します。しかし、知っているということは、表現し得るという事ではありませぬ。
王の鼻は、その知っている事、感じている事をその臣下たる動的表現係の各大臣に申し付けて表現させました。そうして自分自身の表現であるかの如くに装いました。眼や口には出来ぬ、鼻でなくては到底ここまで深く現わし得ぬものと見られていた表現でも、それは王の鼻が他の表現機関を巧《たくみ》に使い別けて、二重三重の表現をさせて、その表現の中心に結ばった感じを自分の表現と見せかけたものであります。人々はこれ等はすべてを王の鼻の表現と認めまして、これに嘆服し、これを崇拝しました。しかし実は王の鼻は、何等の表現をもしないのでありました。只顔の真中の王座に反《そ》り返っているのでありました。
王の顔面の総ての表現が、その鼻の表現と認められていた事、恰も埃及国内のすべての出来事が王の責任と認められていた如くでありました。王の全身の表現が、その鼻に依って代表されて他人に受け渡しをされていた事、恰も埃及国の全権が、ダメス王に依って掌握され、ダメス王の名に依って他国と批准交換されていた如くでありました。しかも王は太平楽の裡に無為徒食しておりました。
王の鼻が総ての表現を代表する事が出来たのは、その鼻自身が無表現だからでありました。
王の鼻の動的表現の可能性は、その絶対不動のところにあったのであります。
すべて動的活社会の統一的代表者は、不動的人格の所有者でなければなりませぬ。
同様に動的表現の支配的象徴者は、不動的表現の具有物でなければなりませぬ。
ダメス王の王座はこの如くにして、埃及の国家組織の中心に自ら胚胎した事でありました。
王の鼻の座もこの如くにして、王の顔面の中央に天然自然と開設されたものに相違ありませぬ。
王の鼻の動的表現が無から有を生じた事は、かようにして遺憾なく証明されるのであります。その動的表現の存在はかようにして否定され得るのであります。
その間に何等の不可思議もありませぬ。
何等の予質もありませぬ。
人間の知識では驚異に値するかも知れませぬ。しかし神の国に於いては、不可解の存在は許されませぬ。予質の神秘は認められませぬ」
月の神はかようにしてダメス王の鼻の動的表現能力を絶対に否定して、席に着きました。同時に並居る諸神は悉く絶対に、鼻の動的表現能力を認め得たのでありました。そうしてこの時、月の神と犢の神とが人知れず顔を見合わせてニッコリと笑いました。これを気付いていたのは只記録係タータの神ばかりでありました。
ここに於て四十二名の判官は別室に退いて、一つの判決文を作りました。そうして再び打ち揃って着席の上、中央の二名が立ち上って同音に読み上げました。
「ダメス王は無為徒食せるが故に国家の罪人とは認められざりき。王の鼻も又何等の動的表現を有せざりしという理由のもとに、動的表現界の罪人として認めらるべきものに非ず。その表現界統一の功績は、埃及に於けるダメス王の沿蹟と等しく万人の敬仰礼讃を受くべきものに属す」
次いで鼻はその黄金の鼻輪を除かれまして、正面の天秤の一方に載せられました。マスピス神はその反対の秤に、誠実を表す鳥の羽根を載せて罪の軽重を計量しましたが、左右の秤は物の見事に平均して、今の判決の真実である事を証明しました。
ダメス王の鼻は、ロルス神に導かれて正面の上段、ホリシス神の御前に進み寄りました。ホリシス神はこれを掌の上に招き載せて一同に見せながら、玉音朗かに宣言をされました。
「鼻は人間の神である。人界の動静両表現界を主宰させるために余が代理として遣わしたものである。
独立不動と不羈の向上――は余が秘密に授けた鼻の使命であった。
ダメス王の鼻が、この使命を最もよく発揮して、ここに人類界最高の記録を破り得た事を嘉《よみ》する。さらにその死後に於ける
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