がないものでしょうか。
人間というものは、そんなつまらない使命のために生れて来ているものでしょうか。
これは一つの大きな謎語《なぞ》であります。
万有進化と鼻
――運命と鼻の表現(五)
「謎語」という言葉はかの埃及《エジプト》の大怪像スフィンクスを呼び出す言葉であります。
世界中の鼻の表現のうちで、この鼻の表現研究上の根本的疑問を解決する事が出来るものは、かの鼻の欠け落ちたスフィンクス像よりほかにありませぬ。
スフィンクスは黙ってこの疑問を解決しております。
――頭は人間――身体《からだ》は獣《けもの》――と。
スフィンクスが出現してから二千年以上|経《た》って後《のち》、人間はやっとこの暗示を解決する事が出来ました。そうしてこう云いました。
――獣から人間へ――
この理屈を説き証したものが進化論と名付けられております。
進化論の説くところに依りますと、この――獣から人間へ――という事は、天地間、ありとあらゆる森羅万象が進化しているという事実の一端を示した事になるのであります。
――無生物から生物へ――
――生物から植物と動物へ――
――植物は――苔から草へ――草から木へ――
――動物は――虫から魚へ――魚から鳥獣へ――鳥獣から人間へ――
皆進化している――
この進化の原動力は「自己の愛護と向上発展」云々――
何だか中等学校のお講義めいて来ましたが、この証明に依ると、何だか宇宙自身にも本来の「自己の愛護と向上進展」があるそうであります。そうしてその進化の方向は、矢張り進化論の説明と同じ方向であるスフィンクスの暗示、
――獣から人間へ――
というのに一致しているのではないかと考えられます。これが宇宙進化の鼻の向うところで、これがスフィンクスの鼻に依って表現されていたのではありますまいか。
昔は交通が不便でありましたために、お釈迦様やイエス様は、その当時の文化の先進国たる埃及へ洋行された事はなかったものと見えます。もしあんな頭のいい人が一度でも埃及へ行ってスフィンクスを見ましたならば、あんな説法の仕方をしなかったであろう、その流れを汲む人々が今日になってあんなに進化論と喧嘩をしなくてもよかったろうにと、今更遺憾に堪えませぬ。
しかしその上に今一つ遺憾な事を云えば、その進化論も、獣から人間が出て来たところまでしか証明しておりませぬ。人間からこんどは何になるかという事に就いては少しも説明を加えておりませぬ。
……スフィンクスもここまでしか暗示しておりませぬ。
「それから先は説明の限りに非ず」
というのか、
「それから先はわからぬ」
というのか、それとも又、
「それから先はおしまい」
というのかわかりませぬ。鼻の表現を隠して知らん顔をしております。そうしてこれを永久の謎語として人類に暗示しつつ、沙漠の方を向いております。
そこでおかめとヒョットコと天狗様とが飛び出して、馬鹿囃子を初めなければならぬ事になります。
スフィンクスから欠き落とされた表現は、数千里を隔てた日本に吹き散って来ました。
そうしてその中からヒョットコとおかめと天狗様が生れたのではないかと思われる位、スフィンクスと馬鹿囃子の関係は密接なものがあるのであります。
まことに突飛《とっぴ》といって、これ位突飛な対照はありませぬ。しかし何しろ古今独歩の鼻の表現の中に現われた、最も偉大不可思議なる神様達の因縁事でありますから、とても人智の及ぶところではありませぬ。只謹んで神意を伺い奉るよりほか致し方ないのであります。
呪われた鼻
――運命と鼻の表現(六)
獣《けもの》からやっとこさと人間へ進化して来た鼻は、初めて地面から手を離して四方をキョロキョロ見廻しました。ここまではスフィンクスの暗示に依って進化して来たのでありますが、これから先どこに向って進化向上していいか見当がつかなかったからであります。
意地の悪いスフィンクスは折角《せっかく》ここまで連れて来ながら、その鼻の表現を隠して人間を五里霧中に突放《つきはな》しました。
突放された人間がヒョットコでありました。
ヒョットコは見る物毎に驚きました、呆れました。人間の五官の世界が果しもなく広く美しく眩しく荘厳に不可思議なのに肝を潰してしまいました。えらい処へ来たと思いました。大変なものばかりであると思いました。そのために鼻の穴がスッカリ開け放しになってしまいました。
オッカナビックリ歩きまわって見ました。しかしいくら歩きまわっても、只驚くべき怪しむべき事ばかりで、行っても行っても同じ風が吹いているという事だけがわかりました。どこへどう落ち着いて、どんなに日を送っていいか、まるっきり見当がつかなくなりました。
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