今日――。
 それは世界歴史の頁《ページ》の大部分を犠牲とし、不可思議の国|埃及《エジプト》の王宮を舞台面として演出された、至大至高の鼻の表現劇ではなかったでしょうか。今日の人類の文化は、未だこの鼻の表現劇の影響から免れ得ていないのではありますまいか。
 クレオパトラとアントニーは、各《おのおの》自分の鼻の表現に依って支配された運命に従って、スフィンクスの膝下に斃《たお》れたと伝えられております。
 一方シーザーは、羅馬に於てブルタスの刃に刺されました。これはその鼻の野心満々たる表現が、識《し》らず識らずの裡に民衆の反感を買っていたのではないかと想像する事が出来るのであります。

     人類史と謎語
       ――運命と鼻の表現(四)

 こうして世界歴史の表面を飾る人々の鼻の表現は、人類進化の道程に於ける何等かの意義を象徴して、その時代の人々を導きました。それ等の人々の盛衰興亡に一新紀元を劃し、それ等の人々が作る文化の栄枯消長に一転機を与えました。そうして後世の人々に、何等かの霊的又は物的の暗示を残して行きました。
 骸骨の塔の高さを誇る鼻の種族は、敵を見る事草木の如き剽悍《ひょうかん》無残の鼻を真っ先に立てて、毒矢毒槍を揮いました。
 版図の大を誇る鼻の一団は、智勇豪邁、気宇万軍を圧する鼻に従ってこれに殉じました。
 石から大理石に、大理石から銅に、銅から金銀に、その文化の光明を誇る鼻の群れは、公明聡慧一世に冠たる鼻を仰いでその徳を讃美しました。
 現界の富強を希《こいねが》わず、神界の福楽を欣求《ごんぐ》する鼻を貴《たっと》ぶあつまりは、崇高幽玄、霊物を照破する鼻に帰依して財宝身命を捧げました。
 吾れに従う人々の安息の地を求むべく、燦《さん》たる北斗星の光を心あてに、沙漠をうれいさまようた鼻がありました。
 精神的にも物質的にも茫々たる不毛の国土を開拓して、隆々たる文化を育《はぐく》みつつ、世界を併呑すべく雄視した鼻がありました。
 高潔|沈毅《ちんき》な鼻の表現に万軍の信頼を集めつつ、天地を震撼する大魔王の鼻を一撃のもとに打ち砕いた英雄がありました。
 文化的爛熟期に入った列国代表者のデリケートな鼻の表現の間を、新興民族の蛮勇を象徴した鼻の表現で、片っ端から押しわけて行った巨人がありました。
 吾《わが》民族の文化的実力を過早に自惚《うぬぼ》れて大戦争を起こし、遂に滅亡に近い運命を招いた帝王の鼻がありました。
 断頭台上に端然として告別の辞を述べ、信念と慈愛の表現を万世に残して、人々の涙を絞らせる美人の鼻がありました。
 出しゃばりたい一パイの鼻の表現をふりまわして、数十万の生命を弄《もてあそ》び殺した女王の鼻がありました。
 戦争の惨禍を坐視し得ぬ鼻の表現から、世界的の博愛事業を生み出して、今日まで幾千万の人々をして人類愛に感泣せしめつつある婦人がありました。
 天体の推移を睨み詰めつつ、古井戸に落ちた鼻の表現がありました。
 徳業にいそしんで九年面壁した鼻がありました。
 寡頭政治から民衆政治へ移すべく、街頭に怒号する鼻がありました。
 宗乗の誤謬を匡《ただ》すべく、火に灼《や》かれる迄も正理を標榜した鼻がありました。
 形式を破って自由の天地を打開すべく熱狂した鼻がありました。
 伝統の文化から個性の文化へ導くべく悶死した鼻がありました。
 高い鼻を見ると、無意識にこれを礼拝しました。
 大きい鼻に出合うと、無条件でその庇護を受けようとしました。
 強い鼻にぶつかると、訳も無くこれに服従しました。
 その代り些しでも弱い鼻は圧倒しよう、小さい鼻は併呑しよう、低い鼻は蹂躙しようと、互に押し合いへし合いました。
 こうして世界の歴史は芋を洗うように転変し、その文化は雑草のように興亡しました。
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 テン テレツク テレツク ツ
 テン テレツク テレツク ツ
 という囃子に連れて、恐ろしく高い鼻と、無暗《むやみ》に低い鼻と、全く開け放しの鼻と、三種の鼻が現われてヒョコリヒョコリと踊りまわる。
 世界歴史の表面を見渡していると、どことなくこんな感じがします。
 現代の人類社会の生活を見渡しても、こんな気持ちがして仕方がない時があります。
 何だかタヨリナイような――可笑《おか》しいような――自烈度《じれった》いような――のんびりしたような――面白いような――馬鹿馬鹿しいような――有意義なような――無意義なような――。
 世界はどこまで行っても、おかめとヒョットコと天狗の踊りに過ぎないものでしょうか。
 人類の生活はどこ迄行っても、馬鹿囃子位のものなのでしょうか。
 そうして人類の鼻の表現は、行き詰まったところがこの三つの鼻の表現のうちどれかになってしまうよりほかに、仕方
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