スッカリスフィンクスに馬鹿にされてしまいました。
 仕方がないのでヒョットコは、遂に色気と喰い気に逆もどりをしました。昔|獣《けもの》であった時代からこれを生命《いのち》と守り通して来た利己心――生命《いのち》の保存と永続の二つの本能のいとなみに凝り固まりました。
 姿は人間でありながら、心は昔の獣のまま喰って惚れて生きている――
 ――絶対の無自覚の姿!
「オホホホホホホ」
 とおかめがこれを見て笑い出しました。
「マア、面白い事。おかしい事。一寸《ちょっと》ヒョットコさん、御覧なさいよ。何て奇麗なお月様でしょう。何て明るいお太陽《ひ》様でしょう。妾《わたし》すっかり感心しちゃったわよ。こんな有難い事は無いわよ。ホントに勿体ない――嬉しい事……オホホホホ」
 おかめはこうして総てに満足しました。この上に何物も望みませんでした。
 人間の五官を備えている事だけに満足し切って、空虚な喜びに生きている――
 ――消極的の無自覚の姿!
 この無知無能に対して、恐ろしく憤慨したのは天狗様でした。
「おれは貴様達のような無自覚なものじゃないぞ。何物にも満足するような無知なものではないぞ。如何なる事でも為《な》し遂げ得る能力を持っているぞ。あらゆる向上力と通力とを持っているぞ」
 こうして総てを眼下に見下《みくだ》して、自分だけ慢心してしまいました。たった一人で、俺は人間以上のものだと威張り腐って生きているようになりました。
 自覚心があり過ぎて、却《かえ》って無自覚と同じ事になってしまいました。ちっとでも他の生物より優越したところがあれば、直《すぐ》に満足をするようになりました。――スフィンクスが終極の目標を示さないために――
 そうしてすべてにこの自覚の誇りを宣伝すべく、全世界を飛びまわりはじめました。
 ――鼻ばかり高く突き出しながら――
 ――積極的無自覚の姿!
 ……………………………………………………
 ――おかめとヒョットコと天狗様――この三つはこうして人間の無自覚――スフィンクスの鼻の表現から生まれました。
 いずれも絶対の馬鹿の表現であります。
 無自覚に凝《こ》り固まった鼻の表現であります。
 永久にスフィンクスに呪われた姿であります。
 子供のオモチャにしかならぬ程度のものであります。
 こうなりたくないために――スフィンクスの呪いにかかりたくないために――子供のオモチャにしかならぬ程度の一生を送りたくないために、噴火口や瀑布に飛び込む人すらある位であります。
 その他の人々は、しかもそうは考えませぬ。自分の満足するところに満足すりゃいいじゃないかといった調子で、めいめい行き得るところまで行って、これに満足し得意になる。あとは只驚いている。首をひねっている。感心している。喜んだりビクビクしたりしている。こんな鼻の表現がもしあったならば、その持ち主は同時にヒョットコであり、おかめであり、天狗様でなければなりませぬ。
 スフィンクスに呪われた人でなければなりませぬ。

     鉱物式や植物、動物式の性格
       ――運命と鼻の表現(七)

 スフィンクスは埃及《エジプト》の万有神教から生れたものだけに、人間の鼻の表現の呪い方も森羅万象式で種々雑多に分かれております。しかしこれを大別しますと、無生物式と植物式と動物式の三つの呪い方にわかれるようであります。
 凡《およ》そありとあらゆる人々はスフィンクスにこんな風に呪われながら、自分でもこれを知らず、これに囚《とら》われこれに満足して向上発展の意気を喪っているように見受けられます。
 先ず無生物式に呪われているというのは、変化の無いつめたい石や金属の性質を帯びている鼻の表現であります。
 男性では頑冥不霊の石塔の鼻や、微塵も色気の無い石部金吉の鼻、鉄のように頑強な性質、又は銅臭に囚われた人、或は金ピカ自慢の方なぞがこの部類であります。いずれにしても或る硬度にまで凝り固まった融通の利かぬタチで、中には合金や鍍金《めっき》、流し金なぞで満足している人もあるという次第で、各《おのおの》とりどり様々にその持ち前の性格を鼻の表現に光らせております。
 女性の方でも同様で、めいめいに御自分のプライドを鉱物や金属に思いなして、囚われておいでになるようであります。鉄や銅のように世帯向きの実用式性格を御自慢の向きもあれば、上流向きの銀子さんや金子さんを以て自ら任じておいでになる方もあります。又は御自分を水晶と見ておられる方もあれば、翡翠《ひすい》と見られる方もあります。ルビー嬢や真珠夫人、ダイヤ姫なぞと来ると、囚われても囚われ甲斐のある方で、家門の誇り、社交界のお飾りたるべく、皆もう後生大切に研《みが》きをかけては光り、光っては研きをかけつつ、身動きさえもそっとして、鼻の表現にそのプ
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