モットーを文字通りに守り得る程の社交的人物でも、鼻ばかりは常に喜怒を表わしていなければならぬ筈のものでありましょうか。
 フットライトの中に浮き出してあでやかに笑いまわる舞姫の鼻の表現のわびしさは、絶対に拭い除《の》ける事の出来ないものでしょうか。展望車の安楽椅子に金口《きんぐち》を輪に吹く紳士の鼻の淋しさは、何とも包む術《すべ》はないものでしょうか。リモシンのフクント硝子《ガラス》の裡《うち》に行く人をふり返らすボネットの蔭からチラリと見える白い鼻の愁い、悲壮な最後を遂げた名士の棺側に付添いながら金モール服揚々たる八の字鬚の誇り……これ等の表現は絶対的に不可抗力のあらわれとして諦められなければならないものでありましょうか。
 鼻の表現は眼や口なんぞと同じように支配する事は絶対に出来ないものと決っているものでありましょうか。
 もしこの鼻の表現を自由自在に使いこなして、如何なる出鱈目でも嘘っ八でも決して他人に看破されない位に充実した鼻の表現でもって、その真実である事を裏書きして行く事が出来るものがいるとしたら、その者は如何に恐るべき成功を世渡りの上に博する事が出来るでありましょうか。
 如何なる残忍酷薄な奴でもその鼻の表現に、自由自在に熱情の光を輝かす事が出来るものとしたならば、その人間の運命は如何に光明に満ち満ちたものとなり、その人間以外の社会生活は如何に暗黒な不安の裡《うち》に鎖《とざ》される事でしょうか。
 ここに「悪魔の鼻」と題しましたのは、この鼻の表現をある程度まで自由に支配しうる種族が人間社会にかなり沢山に存在しているのを総括して研究し批判して見たいためであります。
 一面から申しますれば、眼付きや口もとの表現で他人を欺き得るものはまだ徹底的に欺き得るものとは云えない……悪魔の名を冠《かぶ》らせるに足りない。鼻の表現に依って人を欺き得たもの――即ち全然虚偽の表現を徹頭徹尾真実の表現と見せかけて他人を心から感動せしめ得るものこそ真の悪魔でなければならぬという見方から、かように悪魔式鼻の表現なるものを仮定した次第であります。
 先ず悪魔の鼻の研究に先だって是非とも研究しておかなければならぬ鼻が一種類あります。それは名優と称する人種の鼻であります。

     名優の鼻
       ――悪魔式鼻の表現(二)

 昔から名優と名を付けられた程の人々は、その身体
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