も権威も認められぬという事であります。
 しかし如何程この意見を固守される方でも、御自分の鼻が御自分の向って行かれる方向を示している事だけは相違なく御認め下さるであろうと信ぜられます。
「どこへ行くんだ」
「鼻の向いた方へ」
 なぞいった調子で、鼻がその持主の行く方向を示す事、船の舳《じく》と同様であるという事は、三尺の童子と雖《いえど》も容易に認め得るところであります。
 同時に鼻が時々自分というもののすべてを代表する意味に於て認められている事も明かな事実であります。
「この鼻様がいるのを知らぬか」
 とか、
「この鼻を見忘れたか」
 なぞいう古い科白《せりふ》もある位で、大抵の場合自分というものを示す全権公使には鼻が指定されるようであります。
 この二つの実例は何でもない事のようでありますが、鼻というものの表現……否、その鼻の持主のすべての表現と絶対の関係を持っているものであります。
 しかし普通の場合に於てはそこまで重大な意義を認められておりませぬ。極めて軽い意味で前者は本人の意志を表明し、後者はその存在を提示するもの位にしか考えられておりませぬ。

     その恰好と人物
       ――鼻の静的表現(二)

 鼻は又その恰好に依ってその持主の性格、意志、感性なぞを表明しているものとも考えられておるようであります。それかあらぬか鼻にはいろんな名称があって、その名前を聞いただけでもその感じがわかる位であります。
 尤《もっと》もこれ等の名称は芸術家や人類学者又は骨相学者なぞが各《おのおの》その立場立場に依ってそのつけ方を違えているのだそうでありますが、鼻の表現の研究材料としてはその名前と感じだけがわかればよろしいのであります。
 先ず和製では、野生的の勇気を表わす「獅子鼻」を筆頭に、意地の悪い感じを与える「鷲《わし》鼻」、お人好しと見られる「団子鼻」、無智を示す「蓮切鼻」、無能を示す「トンネル鼻」、慌《あわ》て者を表白するという「二連銃」、むずかし屋を表明する「碇《いかり》鼻」(「怒り鼻」?)、分別を見せる「鉤《かぎ》鼻」、又は物々しい「二段鼻」、安っぽい「抓《つま》み鼻」なぞいうのがあります。
 意気筋では、よくは存じませぬが、江戸前の「ツンケン型」、上方式の「京人形型」、「オキャーセ型」、「アキマヘン型」、「バッテン型」なぞいうのが、その地方地方のこう
前へ 次へ
全77ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング