した社会の気前を代表しているのだそうであります。
 これを人類学的に分類致しますと、「アイヌ型」「コーカサス型」「モンゴリア型」「天孫型」「アレイ型」なぞの数種になる。いずれも本来はその文化程度を標示している筈のものだと申します。
 一方舶来では各人種それぞれに共通の標準型があって、各その国民性もしくは民族性を代表しているそうであります。先ず上品な「希臘《ギリシャ》型」、勇敢な「羅馬《ローマ》型」、悪ごすそうな「猶太《ユダヤ》型」、高慢チキな「アングロサクソン型」、意地の強い「ゲルマン型」、単純な「スラブ型」、そのほかいろいろ。下って「ニグロ型」「食人種型」「擬人猿類型」、就中《なかんずく》「狒狒《ひひ》型」「猩猩《しょうじょう》型」なぞいうものがありますが、もうこの辺になると、呑《のん》だくれの異名か好色漢の綽名《あだな》か、又は進化論者が人類侮辱の刷毛序《はけついで》につけた醜名《しこな》か、その辺のところがはっきりしません。先ず「赤っ鼻」や「潰れ鼻」又は「ポカン鼻」なぞいう病的表現と一所にここでは唯敬意だけ払っておく事に致します。
 初対面の場合なぞは、この鼻の恰好から来る感じをソックリそのままその人の全人格の感じと認められている場合がたまにあるようであります。つまり鼻の恰好も一つの表現として見れば見られぬ事はないようであります。しかし鼻の方向や位置がその人の意志や存在を示す場合と違って、鼻の恰好が即ちその人の人格の表現であるとイキナリ決定して了《しま》うのは、あまりに早計でチト物騒ではあるまいかと考えられるようであります。
 近来西洋では、
「学問のある女性の鼻の方が、学問の無い女性のそれよりも高い」
 という統計が出来ているそうであります。つまり鼻の低い女性でも学問さえすれば鼻が高くなるという……まるで落し話しでありますが、「その人類の文化程度は建築物の高さとあらかた一致する」というのと同じ論法で真面目に伝えられているそうであります。
 そんなところからみれば鼻の形と人間の素養、性格なぞとはまるきり関係が無いとは言えないかも知れませぬ――否、大いにあってもらいたいものであります。
 学問のある人の鼻は高く、人格者の鼻は端正に、無学文盲の鼻はヒシャゲて、悪人の鼻はねじくれていたら、世界の文化はどれ位向上し、人類の生活はどれ位幸福になるか知れませぬ。さらに今一
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