。只もう嬉しくて嬉しくて」
 という表現を作っております。その表現はそのチョッピリとした鼻の背景として、そうした気分を弥《いや》が上にも引っ立てているかのように見えます。「おかめ」の一名をお多福というのは、こうして現在のすべてに満足している気持ちを云ったものと推察されるようであります。
 畢竟《ひっきょう》するところ、この二つの鼻の表現は人間の性格の両方向の行き詰りで、「天狗」は極度の増長と高慢を――又「おかめ」は極度の謙遜と無知無能とを表現しているのであります。
 然るに「ヒョットコ」となると、その高慢も謙遜もありませぬ。全く明け放しの鼻の表現をしております。
 すべてに対して驚いております、不思議がっております、ビクビクしております、うろたえております、ヒョットコヒョットコしております。只色気を見せる鼻毛と、喰毛《くいけ》を見せる口だけが並外れて長いという、つまり極度に文化程度の低下した無知無能な性格を表わしております。地方に依りまして「ヒョットコ」の一名を「モグラ」というのは、土から顔を出して眼をパチクリさせるなり慌ててもとの土にもぐり込む※[#「鼠+(偃−イ)」、482−17]鼠《もぐら》の鼻の表現に似た表現だからではありますまいか。
 この三種の仮面はかようにして、いずれもその思い切り誇張された鼻の形に依って、一時的もしくは永久的に現われる人間の性格の三つの傾向を代表させております。
 この三種類の鼻の表現が代表する人間の性格の三つの傾向は、大きく云うと人類の文化――小さく云えば個人の性格と非常に深い関係があるのであります。即ち人間の性格は、この三つの中《うち》どちらに傾いてもその向上発展は望まれなくなるのであります。その代りこの三つのお面が自覚さえすれば直《ただち》に進歩発達の道に入ることが出来るのであります。「天狗」の自慢が消え、「おかめ」の無知無能が眼覚め、「ヒョットコ」がその色気と喰気から救われるのであります。
 この三つの傾向を自覚というものに依って取り纏めて行くところに人間の性格の向上進展があるので、この三種類の鼻の表現を取り合わせて人間らしい高さと恰好に加減して行くところに、鼻の表現の根本原理が含まれているのではないかと考えられます。その証拠には人間が無自覚であればあるだけこんな鼻の表現に陥り易い。同様に国家や民族がこの三つの傾向のうちのどれ
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