寸当世向きしないような感じを与えるものであります。
相手が茫々《ぼうぼう》たる無感覚でちっとも鼻の表現をしない、時々腹の底で薄笑いしているようにも見える、この方を馬鹿にしているようにも見えるし尊敬しているようにも見える、わかったのやらわからぬのやら賛成やら不賛成やらサッパリ判然せぬ、大人物やら小人物やら大馬鹿やら大利口やらそれすら見当が付かない、無意味か有意味か知らず、ただ空《むな》しく有耶無耶《うやむや》としているもののように見える場合に云うので、極端にえらい人やえらくない人、大人物を装うものや負け惜しみの強い卑怯者、又はいくらか頭のわるい人の鼻によく現われるニューッとした表現であります。
蓄膿症や鼻加答児《ビカタル》なぞで鼻の中が始終グズグズして、判断力や決断力の鈍った人なぞにも多く見受けられるようであります。
馬鹿囃子
――鼻の動的表現(四)
昔から認められている「鼻の表現」の数々をここまで研究して参りますと、どうしても問題にしない訳に参りませぬのは、「おかめ」と「ヒョットコ」と「天狗」のお面であります。
いずれも子供衆のお相手|位《くらい》のもので、真面目腐って研究するのは馬鹿馬鹿しいようでありますが、お伽噺《とぎばなし》の中に人生の大問題が含まれているように、この三通りのお面にもなかなか容易ならぬ意味が含まれているのであります。
これ等のお面の表現の中心になっておりまする三様の鼻の表現は、人間の性格を三つの方面に分解して、その一つ一つの方面を芸術的に誇張された鼻の表現に依って代表させたものと見るのが最も早わかりで面白くて、しかも意味が深長なようであります。
「天狗」はその才能、通力なぞいうものに対する極度の誇りを、その素破《すば》らしく高い鼻に依って表明しております。そうして鼻以外の処は眼を怒らし歯を噛みしめ顎鬚を翻して、
「何が来ても恐れ入らないぞ、何を持って来ても満足を与えないぞ、おれ様がどんなに豪《えら》いか知らないのか」
と、虚勢を張った表現をしております。
「おかめ」はこれと正反対に、普通以下に低いその鼻の形でそんなプライドが少しもない心を見せております。同時にその眼は細く波打ち口はすぼまり頬ペタは笑《え》くぼを高やかに盛り上げて、
「すっかり満足致しておりまする。何もかも勿体ない位面白くておかしい事ばかり
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