ライドを輝かすばかりに夜を明かし日を暮しておいでになります。
お次に植物式に囚われた鼻の表現のうちで一番多く見うけるのは、極めて狭い処に極く小さな芽をふいて、チョッピリした枝葉を出して、イササカの花を咲かせ実を結んで満足している鼻であります。
これという実も花も持たぬままに、潤《うるお》いを求めて地を這いまわる蘚苔《こけ》のようなもの、又は風に任する浮草式生活の気楽さに囚われている者に到っては殊に夥しいのであります。恐ろしい毒に身を守って、虫も鳥も寄り付かぬのを誇りとするという、凄い珍しい囚われ方をした鼻の表現も、亦《また》この部類に数えらるべきものでありましょう。
梅、桜、牡丹、芍薬《しゃくやく》、似たりや似たり杜若《かきつばた》、花|菖蒲《しょうぶ》、萩、菊、桔梗《ききょう》、女郎花《おみなえし》、西洋風ではチューリップ、薔薇、菫《すみれ》、ダリヤ、睡蓮、百合の花なぞ、とりどり様々の花に身をよそえて行く末は、何処《いずこ》の窓、誰が家の床の間に薫るとも知らず、泣きつ笑いつ、はかなくかぐわしい夢に浮かれる人々も亦、この中《うち》に数えねばならぬのではありますまいか。
しかも植物式の囚われ方をしたものの中《うち》で偉大なものになると、鳥を宿し、星を停《とど》め、雲を払い、風に吼《ほ》えて、素晴らしい偉観を呈するのがあります。他の草木の根を覆《くつが》えし、枝葉を枯らして自分のこやしにして終《しま》う一方、巻付いて来る蔦蔓《つたかずら》から、皮肉に食い込んで来る寄生植物までも引き受けて、共々に盛んに芽を吹き、枝を延ばし、花を咲かせ、実を結んで、大得意になっておる鼻がそれであります。一家一門繁昌して「祝い芽出度《めでた》」と囃《はや》されてニコニコと喜んで、
「アア、これでやっと眼が瞑《つぶ》れる」
と安心して閑日月を楽しもうという、このような鼻の表現が何となく物足りなく見えるのは、その表現が植物性を帯びているからではありますまいか。そこが人間の有難いところだと眼を細くしている鼻は、草木が茂り栄えるのをためつすがめつしている鼻と同じ鼻ではありますまいか。
いずれにしてもスフィンクスに呪われているには違いないので、ヒョットコの鼻は免れても、おかめの鼻は免れませぬ。
一方にスフィンクスから動物式に呪われている鼻では、こんなのが眼に付きます。
「俺はそんな外面的
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