梅津只圓翁伝
夢野久作
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)僅々《きんきん》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)故|梅津只圓《うめづしえん》翁の
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)大※[#「やまいだれ+惡」、第3水準1−88−58]《おおべし》
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梅津只圓翁の生涯
故|梅津只圓《うめづしえん》翁の名前を記憶している人が現在、全国に何人居るであろうか。翁の名はその姻戚故旧の死亡と共に遠からずこの地上から平々凡々と消え失せて行きはしまいか。
只圓翁から能楽の指導を受けた福岡地方の人々の中で、私の記憶に残っている現存者は僅々《きんきん》左の十数氏に過ぎない。(順序不同)
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牟田口利彦(旧姓梅津)、野中到、隈本有尚、中江三次、宇佐元緒、松本健次郎、加野宗三郎、佐藤文次郎、堺仙吉、一田彦次、藤原宏樹、古賀得四郎、柴藤精蔵、小田部正二郎、筆者(以上|仕手《して》方)
安川敬一郎、古賀幸吉、今石作次郎、金内吉平(以上|囃子《はやし》方)
小嶺武雄、宮野儀助(以上狂言方)
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その他故人となった人々では(順序不同)、
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間辺――、梅津正保、山本毎、梅津朔造、同昌吉、桐山孫次郎、川端久五郎、上原貢、戸川槌太郎、小山筧、中江正義、粟生弘、沢木重武、斎田惟成、中尾庸吉、石橋勇三郎、上村又次郎、斉村霞栖、大賀小次郎、吉本董三、白木半次郎、大野仁平、同徳太郎、河村武友、林直規、尾崎臻、鬼木栄二郎、上野太四郎、船津権平、岩佐専太郎、杉山灌園(以上仕手、脇方。その他囃子方、狂言方等略)
[#ここで字下げ終わり]
まだこの他に遺漏忘失が多数ある事と思う。氏名なども間違っている人があるかも知れないが筆者の記憶の粗漏として諒恕御訂正を仰ぎたい。
その生存している僅かな人々と相会して翁の旧事を語ると誠に感慨無量なものがある。
翁の一生涯は極めて、つつしまやかな単純なものであった。
維新後、西洋崇拝の弊風が天下を吹きめぐって我国固有の美風良俗が地を払って行く中に毅然として能楽の師家たる職分を守り、生涯を貫いて倦まず。悔いず。死期の数刻前までも本分の指導啓発を念としつつ息を引取った……というだけの生涯であった。翁はその九十幾年の長生涯を一貫して、全然、実社会と無関係な仕事に捧げ終った。名聞《みょうもん》を求めず。栄達を願わず。米塩をかえりみずして、ただ自分自身の芸道の切瑳琢磨と、子弟の鞭撻《べんたつ》に精進した……という、ただそれだけの人物であった。
もしも、それが聊《いささ》かでも実社会に関係のある仕事であったならば……又は同じ芸術でも、絵画とか、文章とか、劇とか、音曲とか多少世俗に受け入れられ易い仕事に関係していられたならば……そうしてあれだけの精彩努力を傾注されたならば、翁は優に一代の偉人、豪傑もしくは末世の聖賢として名を青史に垂れていたであろう。
況《いわ》んや翁程の芸力と風格を持った人で、聊《いささ》かでも名聞を好み、俗衆の心を執る考えがあったならば、恐らく世界の文化史上に名を残す位の事は易々たるものがあったであろう。
これは決して筆者の一存の誇張した文辞ではない。その当時の翁の崇拝者は、不言不語の中に皆しかく信じていたものである。そういう筆者も翁の事を追懐する毎に、そうした感を深めて行くものである。
翁の偉大なる人格と、その卓絶したる芸風は、維新後より現在に亘る西洋崇拝の風潮、もしくは滔々《とうとう》たる尖端芸術の渦の底に蔽われて、今や世人から忘れられかけている。翁も亦《また》、不言不語の間にこの事を覚悟し満足していたらしい事が、その生涯を通じた志業の裡に認められる。そうして今は何等の伝うるところもなく博多下祇園町順正寺の墓地に灰頭土面している。墓を祭る者もあるか無しの状態である。その由緒深い昔の私宅や舞台も、見窄《みすぼ》らしい借家に改造されて、軒傾き、瓦辷り、壁が破れて、覗《のぞ》いて見ただけでも胸が一パイになる有様である。
しかし翁の真面目はそこに在る。翁の偉大さ崇高さは、そうした灰頭土面の消息裡に在る。生涯の光輝と精彩とを塵芥、衆穢の中に埋去して惜しまなかったところに在る。
画に於ける仙崖、東圃、学に於ける南冥、益軒、業に於ける加藤司書、平野次郎、野村望東尼は尚|赫々《かっかく》たる光輝を今日に残している。しかも我が梅津只圓翁の至純至誠の謙徳は、それ等の人々よりも勝れていたであろうに、何等世に輝き残るところなく黙々として忘れられて行きつつ在る。
繰返して云う。
現在の日本は維新後の西洋崇
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