六|尋《ひろ》も在ったろうか……。
 それを見た瞬間に吾輩はヤット我に返った……これは俺の責任……といったような感じにヒドク打たれたように思う。
 傍を見ると船長が吾輩と同じ恰好でボンヤリと突立っている。肩をたたいて見たが、唖然《あぜん》として吾輩を振り返るばかりだ。船橋《ブリッジ》の下の光景に気を呑まれていたんだろう。
 吾輩はその横で背広服を脱いで、メリヤスの襯衣《シャツ》とズボン下だけになった。メリヤスを一枚着ていると大抵な冷《つ》めたい海でも凌《しの》げる事を体験していたからね。それから船橋《ブリッジ》の前にブラ下げて在った浮袋《ブイ》を一個《ひとつ》引っ抱えて上甲板へ馳け降りた。船尾から落ちた連中を救《たす》けて水舟に取付かせてやるつもりだった。それからボートの前の連中を整理して狼狽させないようにしようと思い思いモウ一つ下甲板へ馳け降りると、その階段の昇り口の暗い処でバッタリとこの船の運転士に行き会った。よく吾輩の処へ議論を吹っかけに来る江戸ッ子の若造《わかぞう》で、友吉とも心安い、来島《くるしま》という柔道家だったが、これも猿股一つになって、真黒な腕に浮袋を抱え込んでいた。
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