い、ヘシ合い、突飛ばし合いながら両舷のボートに乗移ろうとする。上から上から這いかかり乗りかかる。怪我《けが》をする。血を流す。嘔吐《は》く。気絶する。その上から踏み躙《にじ》る。警官も役人も有志も芸妓《げいしゃ》も有ったもんじゃない。皆血相の変った引歪《ひきゆが》んだ顔ばかりで、醜態、狼狽、叫喚、大叫喚の活地獄《いきじごく》だ。その上から非常汽笛が真白く、モノスゴク、途切《とぎ》れ途切れに鳴り響くのだ。
 左右の舷側に吊した四隻のカッター端舟《ボート》はセイゼイ廿人も乗れる位のもので在ったろうか。一|艘《そう》毎に素早い船員が飛乗って、声を嗄《か》らして制止しているが耳に入れる者なんか一人も居ない。我勝ちに飛乗る、縋《すが》り付く、オールを振廻すという状態で、あぶなくて操作が出来ない。そのうちに左舷の船尾から猛烈な悲鳴が湧き起ったから、振り返ってみると、今しも人間を山盛りにして降りかけた端舟《ボート》が、操作を誤って片っ方の吊綱《ロープ》だけ弛《ゆる》めたために、逆釣《さかづ》りになってブラ下がった。同時に満載していた人間がドブンドブンと海へ落ちてしまったのだ。海の深さはそこいらで十五
前へ 次へ
全113ページ中81ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング