一掃……手に唾して俟つべしだ。とりあえず前祝《まえいわい》に大白《たいはく》を挙げるんだ。
ナニ……その売国巨頭株の姓名を具体的に云ってくれ……よし云おう。ビックリするな。
貴族院議員、正四位、勲三等、子爵、赤沢事嗣《あかざわことつぐ》……これが金毛九尾の古狐で、今度の事件の一番奥から糸を操っている黒頭巾《くろずきん》だ。君等がよく取逃がす呑舟《どんしゅう》の魚《うお》という奴だ。……ハッハッ知らなかったろう。彼奴《きゃつ》の若い時は例の郡司大尉の隠れたる後援者で、東洋切っての漁業通だという事を、誰にも感付かせないように、極力警戒しているんだからね。北洋工船、黒潮漁業の両会社は彼奴《あいつ》の臍繰《へそく》り金《がね》で動いていると云っていい位だ。……その次が現在大阪で底曳大尽《そこひきだいじん》と謳《うた》われている荒巻珍蔵《あらまきちんぞう》……発動機船底曳網の総元締だ。知っているだろう。それから京城の鶏林《けいりん》朝報社長、林逞策《りんていさく》。あれで巨万の富豪なんだよ。代議士|恋塚《こいづか》佐六郎……三保の松原に宏大な別荘を構えている……アレだ。お次は大連《たいれん》の貿易商で満鉄の大株主|股旅由高《またたびよしたか》。それから最後の大物が、現民友会の幹事長、兼、弗箱《どるばこ》と呼ばれている釜松秀五郎《かままつひでごろう》、逓信次官、雲田融《くもたとおる》……と……まあザットこれ位にしておこう。どうだい。驚いたか。
こいつ等の仕事の正体かね。無論、話すとも。話さなくてどうするもんか。君は吾輩唯一の竹馬の友だ。廃物同様の吾輩の話が、君等の仕事の参考になるのは、吾輩の無上の光栄とし、且つ欣快とするところだ。況《いわ》んや君の手によって、極度の乱脈に陥っている現下の銃砲火薬取締が廓清されると同時に、今云った連中にこの遺恨を報ずる事が出来たとすれば、吾輩の本懐、何をかこれに加えんだ。吾輩の一身なんかドウなったって構わない。
ウンウン。実にお誂向《あつらいむ》きのところに来てくれたよ。註文したって無い大暴風雨《おおしけ》に取巻かれた一軒屋だ。聴いている者は飯爨《めした》きの林《りん》だけだ。ウン。あの若い朝鮮人だよ。彼奴《あいつ》なら聴いても差支えないどころか、吾輩の話のタッタ一人の証人なんだ。吾輩が死んでも、彼奴《あいつ》の報告を聞けば一目瞭然なんだ。年は若いが、生《なま》やさしい奴じゃないんだよ彼奴《あいつ》は……追々《おいおい》わかるがね……ウン。
ところでドウダイ。モウ一パイ……ウン話すから飲め。脊髄癆《カリエス》なんてヨタを飛ばした罰《ばち》だ。落ち付いてくれなくちゃ話が出来ん。
「酒を酌んで君に与う君自ら寛《ゆる》うせよ
人情の翻覆《はんぷく》波瀾に似たり」
だろう……お得意の詩吟はどうしたい。ハハハハ。お互いに水産講習所時代は面白かったナア……。
ウン面白かった。
しかし君は途中で法律畑へ転じたもんだから、吾輩がタッタ一人、頑張って水産界へ深入りした。……少々脱線するようだがここから話さないと筋道が通らないからね……しかも内地の近海漁業は二千五百年来発達し過ぎる位発達して、極度の人口過剰に陥っている。残っている仕事はお互い同志の漁場の争奪以外に無いというのが、維新後の水産界の状態だった。
然《しか》るにこれに反して朝鮮はどうだ。南鮮沿海の到る処が処女漁場で取巻かれているじゃないか。況んや露領|沿海州《えんかいしゅう》に於てをやだ。……これに進出しないでドウなるものか。日本内地三千万の人口過剰を如何《いかん》せん……というのが吾輩の在学当時からの持論だったが……ウン。君も散々《さんざん》聞かされた……そこで卒業と同時に、火の玉のようになって日本を飛び出して朝鮮に渡ったのが、ちょうど水産調査所官制が公布された明治二十六年の春だったが、その時の吾輩の資本というのが、牛乳配達をして貯蓄した十二円なにがしと、千金丹《せんきんたん》二百枚の油紙包みと来ているんだから、正に押川春浪《おしかわしゅんろう》の冒険小説だろう。
……ウン……そこでモウ一つ脱線するが、その頃の朝鮮人が千金丹を珍重する事といったら非常なものだった。君は千金丹を記憶しているだろう。甘草《かんぞう》に、肉桂粉《にっけいふん》に薄荷《はっか》といったようなものを二寸四方位の板に練り固めて、縦横十文字に切り型を入れて金粉や銀粉がタタキ付けてある。無害無効の清涼剤だが、その一枚を三十か四十かに割った三角の一片を出せば、かなりの富豪が三拝九拝して一晩泊めてくれる。一枚の三分の一でも呉れようもんなら、その頃の郡守といって、県知事以上の権威を持った大名役人が、逆立ちをしながら沿岸を案内してくれるというのだから、まるでお伽話《とぎばなし》だろ
前へ
次へ
全29ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング