に、今まざまざと居るように、
 美留女の智恵や学問を、妾はちゃんと持っている。
 夢は覚めても忘れずに、妾はちゃんと持っている。

 扨は今のは正夢か、本当にあった事なのか。
 そして妾があのように貴い身分になる事を、
 前兆《まえじ》らせする夢なのか、本当《ほんと》に不思議な今朝《けさ》の夢。

 銀杏の根本で繙《ひもど》いた、不思議な書物の中にある、
 妾の女王の絵姿は、絵空事ではなかったか。

 空には白い星の数、海には青い波の色。
 棚引く雲の匂やかに、はや暁の色染めて、
 東の空にほのぼのと、夢より綺麗な日の光り。

 赤い鸚鵡よどうしたの、まあ恐ろしい美しい、
 真赤な真赤な光明を、眩しい位輝やかし、
 あれ羽ばたきをするうちに、窓から高く飛び上り、
 東の空に太陽の、光りが出ると一時《いちどき》に、
 海の面《おもて》に湧き上る、金銀の波雲の波、
 蹴立て蹴立てて行く末は、あと白波の沖の方、
 あれあれ見えなくなりました……」
 藍丸王は又もやこの歌に聞き惚《と》れて、うっとりと眼を細くして夜《よ》の更《ふ》けるのも忘れていた。
 するとその中《うち》お寝《やす》みの時刻が来たと見えて、今朝《けさ》の青眼老人が、六人の小供と一所に、手燭を持って這入って来たが、王が真暗な室《へや》の中《うち》に鸚鵡の籠を置いて、一心にその歌に聞き入っている様子を見ると、何故だか大層驚いた様子で、慌てて王の前に進み寄って――
「王様は飛んでもない事を遊ばします。王様はこの国の古い掟をお忘れ遊ばしましたか。『人の声を盗む者、他《ひと》の姿を盗む者、他《ひと》の生血《いきち》を盗む者、この三つは悪魔である。見当り次第に打ち壊せ、打ち殺せ、焼いて灰にして土に埋めよ』この言葉をお忘れ遊ばしましたか。この鳥こそは今申し上げた、人の声を盗む悪魔で御座りまするぞ。悪魔が王様の御声を盗みに来ているので御座りまするぞ。吁《ああ》。恐ろしい、恐ろしい。御免下されませ。この鳥は私が頂戴して殺して仕舞います」
 と云う中《うち》に籠を取り上げて持って行こうとした。するとその時どうした拍子《ひょうし》か籠の底が抜け落ちたから、鸚鵡は直ぐにパッと飛び出して、さも嬉しそうに羽ばたきを為《し》たが、忽《たちま》ち眼も眩《くら》む程真赤な光りを放ちながら闇の中を大空高く舞い上がって雲の中へ隠れてしまった。

     七 眼、耳、鼻、口

 藍丸王は翌《あく》る朝眼を覚ますと直ぐに身支度を済まして、昨日《きのう》のように紅木大臣と一所にお城の北の先祖の御廟《おたまや》へ参詣《おまいり》をしたが、それから後《のち》は昨日のように種々《いろいろ》な大仕掛な出来事は無かった。お附の者に連れられて自分の室《へや》に帰って、昨日にも倍《ま》して結構な朝御飯を済ました。ところがその御飯が済むと、やがて一人の立派な軍人が這入って来て藍丸王に最敬礼を為《し》ながら――
「紅矢《べにや》様が御出《おい》でになりました」
 と云った。そうして王が軽く頷《うなず》くと間もなく軍人と入れ違って、紅い服に白い靴を穿《は》いた、彼《か》の美紅《みべに》姫とよく肖《に》た少年がさも嬉しそうに元気よく走り込んで来た。そうして藍丸王と抱き合って挨拶をしたが、紅矢は抱き合った手を離すと直ぐに口を開いた――
「王様。昨日《きのう》は私、本当に参りたくて参りたくて堪《たま》りませんで御座いましたよ。本当に私は一日《いちじつ》王様にお眼にかかりませぬと、淋しくて淋しくて一年も二年も独りで居るような心地が致しますよ。今日はその代り何か面白い遊びを致しましょう。魚釣《うおつ》りに致しましょうか、馬乗りに致しましょうか。それとも山狩りに致しましょうか。私は何でも御供致しますよ」
 と凜《りん》とした活発な声で熱心に話す顔を見ると、どんな者でも誘い込まれて、一所に遊びたくなりそうである。すると紅矢は不図、昨夜《ゆうべ》青眼老人が机の傍に置き忘れて行った鸚鵡の空籠を見付けて、驚いて眼を真円《まんまる》にして尋ねた――
「オヤ。この籠は空では御座いませぬか。あの赤い鳥は逃げたので御座いますか」
 王はニコニコ笑いながら点頭《うなず》いた。
「オヤッ。最早《もはや》逃げてしまったか。憎い奴め。私がいろんな面白い芸当を教えておきましたのに。そしてどちらへ逃げて参りましたか」
 藍丸王は矢張《やっぱ》り黙って、昨夜《ゆうべ》鸚鵡が逃げ出した東の窓を指《ゆびさ》した。これを見ると紅矢は膝をハタと打って――
「ああ。解りました。解りました。それでは自分の旧《もと》居た山へ帰ったので御座います。何でも私の家来が四五日前に彼《か》の山へ小鳥を捕りに参りました時に一所に網に掛かりましたのだそうで、私もあまり珍しゅう御座いましたから妹に
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