ほんと》なら、又はどちらも夢ならば、
妾は居るのか居ないのか、解らぬようになりまする。
よし夢にせよ何にせよ、妾の不思議な身の上を、
よく考えて頂戴な、妾の窓の直ぐ傍に、
妾の歌の真似をする、大きな綺麗な赤鸚鵡。
怪しい夢の今朝|醒《さ》めて、日が出て月は沈んでも、
鳥が木の間《ま》に歌うても、まだ眼に残る幻影《まぼろし》は、
白い御髪《おぐし》に白い肌、月の御顔《おんかお》雲の眉《まゆ》、
世にも気高い御姿《おんすがた》、乞食の王の御姿。
白い御髪《おぐし》を染め上げて、緑の波をうずまかせ、
金《こがね》の冠《かんむり》差し上げて、銀の椅子に召されたら、
まだ拝まねどこの国の、尊いお方に劣るまい。
妾の大切《だいじ》な姉様は、はや近い内皇后の、
位に御即《おつ》きなさるとか、今朝兄上が仰《おっ》しゃった。
兄上様の御名前は、聞くも凜々《りり》しい紅矢様、
姉上様の御名前は、花の色添う濃紅姫《こべにひめ》。
妾は大切《だいじ》な姉様の、世にも目出度い御仕合わせ、
嬉しい事と思いつつ、楽しい事と思いつつ、
自分は独り居残って、昨夜《ゆうべ》の夢の御姿《おんすがた》、
白いお髪《ぐし》の御方《おんかた》を、又無いものと慕《しと》うては、
淋しく暮す身の上を、誰かあわれと思おうか。
よしや憐《あわ》れと思うても、よしや不憫《ふびん》と思うても、
昨夜《ゆうべ》の夢をくり返し、又見る術《すべ》はないものを、
青い空には雲が湧く、けれども直ぐに散り失せる。
黒い海には波が立つ、けれども直ぐに消えて行く。
消えぬ妾のこの思い、見たか聞いたか解ったか。
空行く鳥を追い止むる、それより難《かた》いこの願い。
早瀬の香魚《あゆ》を掬《すく》い取る、それより難いこの願い。
夢かまことかまだ知らぬ、うつつともないまぼろしを、
愚かに慕うこの心、見たか聞いたか解ったか」
藍丸王は我れを忘れてこの歌に聞き惚《と》れていた。そうして昨夜《ゆうべ》の夢の続きでも見ているように、美留女姫の姿を想い浮めていると、暫《しばら》く黙っていた鸚鵡は又もや頭を低く下げて前と同じ声の同じ節で違った歌を唄い出した。
「青い空には雲が湧く、けれども直ぐに消え失せる。
黒い海には波が立つ、けれども直ぐに凪《な》いでゆく。
昔ながらの世の不思議、見たか聞いたかわかったか。
藍丸国のその中で、南の国に湖の、
数ある中で名も高い、多留美《たるみ》と呼ばるる湖は、
お年寄られた父《とう》様と、妾《わたし》が魚《うお》を捕るところ。
翡翠《ひすい》の波を潜《くぐ》っては、金銀の魚《うお》を追いまわし、
瑠璃《るり》の深淵《ふかみ》に沈んでは、真珠の貝を探り取る。
捕って尽きせぬ魚《うお》の数、拾うて尽きぬ貝の数。
扨《さて》は楽しい明け暮れに、小さい船と小さい帆を、
風と波とに送られて、歌うて尽きぬ海の歌。
けれども妾は昨夜《ゆうべ》から、この身の上の幸福《しあわせ》は、
只これ切りのものなのか、それとももっとこの世には、
楽しい事があるのかと、疑わしくてなりませぬ。
今朝《けさ》明け方に見た夢の、扨も不思議さ面白さ。
漁師であった父様が、美留楼公爵様となり、
おわかれ申した母《かあ》様と、兄《にい》様|姉《ねえ》様お揃いで、
十幾年のその間、楽しく暮したものがたり。
銀杏《いちょう》の文字のお話しの、惜しいところであと絶えて、
石神様のお話しは、わが身の上の事となり、
白髪小僧と青眼玉、それに妾と三人で、
追いつ追われつ行く末は、真暗闇の森の中。
扨《さて》眼が覚めて気が付けば、この身は矢張|旧《もと》のまま。
十幾年の栄燿《えよう》をば、只片時の夢に見た、
枕に響く波の音、窓に吹き込む風の声、
身は干《ほ》し藁《わら》のその中に、襤褸《ぼろ》を着たまま寝ています。
今の妾が仕合わせか、夢の妾が仕合わせか。
青い空には雲が湧く、黒い海には波が出《い》づ。
よしや夢でも構わない。よしうつつでも構わない。
妾は不思議な珍しい、又面白い恐ろしい、
あの石神のお話しの、続きをもっと見たかった。
ほんとに惜しい事をした、ほんとに惜しい事をした。
おやまあお前は赤鸚鵡、夢に出て来た赤鸚鵡。
まだ夜《よ》も明けぬ窓に来て、窓の敷居に掴《つか》まって、
星の光りを浴《あ》みながら、ハタハタ羽根を打っている。
お前は本当に居たのかえ、本当にこの世に居たのかえ。
もしもお前が夢でなく、本当《ほんと》にこの世に居るのなら、
お前の仲間の化け物の、四つの道具や扨《さて》は又、
蛇や鏡もこの国の、どこかに居るに違いない。
そしてお前が眼の前
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