すか」
 と早《は》や声を震わしています。二人は香潮と聞いてハッと驚きましたが、併しこんな化物が香潮などとは思いも寄りませぬから、異口同音に怒鳴り付けました――
「馬鹿な事を云うな。香潮は貴様のような化け物ではない」
「そんな事はありませぬ。私は香潮です。私が香潮です」
 と云いながら狼狽《あわて》て宇潮の傍へ走り寄ろうとしましたが、折から又もや雲の間を洩る月の光りに自分の姿がありありと鏡の中へ映りました。その姿をチラリと見ますと、化物は今度は自分の姿に驚いて、キャッと云うとそのまま眼をまわして、又もや湧き立つ大浪小浪の間に真逆様《まっさかさま》に落ち込んでしまいました。そうしてあとには只|白銀《しろがね》の鏡だけが、ありありと月の光りに輝いて残っておりました。

     十一 金銀の舟

 香潮《かしお》は浅ましい姿になって、不思議に生命《いのち》を長らえまして、一度は人々の前に姿を見せましたが、憐れや化物と間違えられて、そのまま又、湖の波の間に沈んでしまいました。美留藻《みるも》も最初から湖に沈んだまま姿を見せませぬ。とうとう二人共死んだ事に定《き》まりましたから、人々は泣く泣く船を陸《おか》の方へ漕ぎ返しました。二人の形見の鏡を載せて、漕いで行く二人の両親の心地《こころもち》はどんなでしたろう。又|彼《か》の鏡を車に載せて、都へ送る両方の村人の思いはどんなでしたろう。やがて藍丸の都の王様の御殿へ着いて、御殿の大広間で皆が王様にお目通りを許されて、この鏡を取った前後《あとさき》のお話しを申し上げた時、この珍らしい鏡というものを拝見に来ていた、沢山の貴《たっと》い人々の内で、泣かぬ者は一人もありませんでした。そうして両方の村の人達には、王様から沢山の御褒美を下さるし、又香潮と美留藻の両親《ふたおや》には、約束通り金の船と銀の舟を一艘|宛《ずつ》賜わってお帰しになりましたが、二人の親達はもしも今二人が無事に生きていて、この金銀の船を見たならば、どんなにか嬉しかろうと云って歎きました。
 藍丸王はこのお目見得が済むと、直ぐに紅木大臣を呼んで二つの事を申し付けました。一ツはこの鏡を自分の居間の壁に掛けて、まわりに美事な飾りを付ける事。それからも一ツは国中に布告《ふれ》を出して、「今度藍丸王様がお妃を御迎え遊ばすに就《つい》ては、国中で一番の美しい利口な女を御撰みになる
前へ 次へ
全111ページ中50ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング