ぬうちに気が遠くなって、手も足も動かなくなったまま、ずんずん沈んで行きまして、やがて鏡の傍の宝石の上に落ち付きました。
これを見付けた美留藻は、最前《さっき》ならば驚いて直ぐにも駈け寄って助け上げるところですが、今ははやすっかり気が変っていましたから、そんな事はしませぬ。香潮の顔を一目見ると、あまりの変りように愛想《あいそ》をつかしまして、いよいよこんな鬼のような顔をした者の妻となる事は出来ないと思いました。
そうしてここで香潮に捕まっては、逃げて行く事も出来ぬし、女王になる事も出来ぬ。どうしたらよかろうと鳥渡《ちょっと》困りましたが、又気を落ち付けて傍へ寄って見ますと、全く死んだように見えましたから、ほっと一息安心をしまして、何かうなずきながらそっと香潮を抱き上げて、鏡の前に寄せかけました。
それから最前《さっき》自分が解き棄てた綱の端を見付けて、香潮の身体《からだ》を鏡にグルグル巻きに縛ってしまいますと、その綱を三度強く引いて、上で待っている人々に引き上げてくれと相図をしましたが、自分はそのまま藻を押し分けて、水底《みずそこ》を伝って、どこかへ逃げて行ってしまいました。
美留藻が引いた三度の相図は、舟の上に両方の綱を持って待っていた、藻取の手にはっきりと伝わりました。それっというので選《よ》り抜きの力の強い若者が四五人、バラバラと駈け寄って綱に取り付いて、一生懸命引き初めましたが、こは如何《いか》に。綱はピンと張り切ったまま、一寸《ちょっと》も上へ上がって来ませぬ。これではいかぬと又四五人綱に取り付きましたが、それでも綱は動きませぬ。それではというので今度は船の上に、かねて用意の車を仕掛けて、それに綱を引っかけて二三十人の者が力を揃えて巻き上げにかかりましたら、やっと二三寸|宛《ずつ》綱が上がり初めました。占めたというので気狂《きちが》いのように勇み立った藻取と宇潮の音頭取りで、皆の者は拍子を揃えて曳《えい》や曳やと引きましたが、綱は矢張り二三寸|宛《ずつ》しか上りませぬ。そうして不思議な事には、最早《もう》鏡を見付けて、綱を結び付けたら用事は済んでいる筈の香潮も、美留藻も、波の上に影さえ見せませぬ。その中《うち》に短い秋の日は、とっぷりと暮れてしまいました。
今まで最早《もう》香潮が上がって来るか、最早《もう》美留藻が浮き出すかと、一心に海の面《おも
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