七 眼、耳、鼻、口

 藍丸王は翌《あく》る朝眼を覚ますと直ぐに身支度を済まして、昨日《きのう》のように紅木大臣と一所にお城の北の先祖の御廟《おたまや》へ参詣《おまいり》をしたが、それから後《のち》は昨日のように種々《いろいろ》な大仕掛な出来事は無かった。お附の者に連れられて自分の室《へや》に帰って、昨日にも倍《ま》して結構な朝御飯を済ました。ところがその御飯が済むと、やがて一人の立派な軍人が這入って来て藍丸王に最敬礼を為《し》ながら――
「紅矢《べにや》様が御出《おい》でになりました」
 と云った。そうして王が軽く頷《うなず》くと間もなく軍人と入れ違って、紅い服に白い靴を穿《は》いた、彼《か》の美紅《みべに》姫とよく肖《に》た少年がさも嬉しそうに元気よく走り込んで来た。そうして藍丸王と抱き合って挨拶をしたが、紅矢は抱き合った手を離すと直ぐに口を開いた――
「王様。昨日《きのう》は私、本当に参りたくて参りたくて堪《たま》りませんで御座いましたよ。本当に私は一日《いちじつ》王様にお眼にかかりませぬと、淋しくて淋しくて一年も二年も独りで居るような心地が致しますよ。今日はその代り何か面白い遊びを致しましょう。魚釣《うおつ》りに致しましょうか、馬乗りに致しましょうか。それとも山狩りに致しましょうか。私は何でも御供致しますよ」
 と凜《りん》とした活発な声で熱心に話す顔を見ると、どんな者でも誘い込まれて、一所に遊びたくなりそうである。すると紅矢は不図、昨夜《ゆうべ》青眼老人が机の傍に置き忘れて行った鸚鵡の空籠を見付けて、驚いて眼を真円《まんまる》にして尋ねた――
「オヤ。この籠は空では御座いませぬか。あの赤い鳥は逃げたので御座いますか」
 王はニコニコ笑いながら点頭《うなず》いた。
「オヤッ。最早《もはや》逃げてしまったか。憎い奴め。私がいろんな面白い芸当を教えておきましたのに。そしてどちらへ逃げて参りましたか」
 藍丸王は矢張《やっぱ》り黙って、昨夜《ゆうべ》鸚鵡が逃げ出した東の窓を指《ゆびさ》した。これを見ると紅矢は膝をハタと打って――
「ああ。解りました。解りました。それでは自分の旧《もと》居た山へ帰ったので御座います。何でも私の家来が四五日前に彼《か》の山へ小鳥を捕りに参りました時に一所に網に掛かりましたのだそうで、私もあまり珍しゅう御座いましたから妹に
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