大広間の真中に、寝台《ねだい》を置いてその上に寝かされて、その周囲《まわり》には四人の家来が代り番に寝ずの番をしておりました。これは姫の身体《からだ》に万一の事が無い用心です。
 両親はこの様子を見て安心をして自分の室《へや》に引き取りました。美紅姫もその枕元に来て――
「お姉様、お寝《やす》み遊ばしまし」
 と云って、あとを見返り見返り出て行きましたが、その顔は云うに云われぬ悲しさに満ち満ちていました。これを見ると濃紅姫は――
「ああ、美紅姫と一所にこの家《うち》で眠《ね》るのもこれがおしまいになるかもしれぬ。美紅はそれで泣いているのであろう。何という悲しい事であろう」
 と思いながら美事な香木で作った格天井《ごうてんじょう》を見ていましたが、熱い熱い涙が自《おの》ずと眼の中に溢れて、左右にわかれて流れ落ちました。その時にこの広い宮中はひっそりと静まり返って、針の落ちる音までも聞こえる位でした。
 この時青眼先生は只一人紅矢の枕元に座って、毒薬の瓶《びん》を懐《ふところ》に入れたまま、最早《もう》悪魔が来るか来るかと待っていました。けれども夜中過ぎまでは何事も無く、只紅矢の苦しい呼吸の音が、夜の更けると一所に静まって行くばかりでした。ところが真夜中が過ぎて、やがて夜が明けようかと思わるる頃になりますと、庭のどこからか歌を唄う女の美しい声が聞こえて来ました。
「紅矢は顔を見た。
 悪魔の顔を見た。
 悪魔の顔を見たものは
 殺されるのが当り前。

 妾《あたし》は悪魔。妾は悪魔。
 屹度紅矢を殺すぞよ」
 その声は、青眼先生がどこかで一度聞いた事のある声のように思いましたが、この時はどうしても思い出せませんでした。この声を聞き付けますと、紅矢は忽ち眼を見開き、頭を擡《もた》げて――
「あの声。あの声。悪魔のこえ。妹の美紅の声」
 と叫びました。
 青眼先生は直ぐに窓から飛び出して、声のする方に駈け出しました。そうして片手を罎《びん》の栓へかけて、出会い頭《がしら》に毒薬をふりかけてくれようと、血眼《ちまなこ》で駈けまわりましたが、不思議や悪魔はどこへ行ったか影も形も無く、只|霜風《しもかぜ》が身を切るように冷たくて、大空には星の光りが降るように輝いているばかりでした。
 青眼先生は何だか狐に抓《つま》まれたような気がして、呆然《ぼんやり》と立っていました。けれどもそ
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