くとも、身の上話しならばどんな人を捕まえても、十人が十人違っている筈《はず》だから、同じ話を二度聞かされる心配はない。そうしてその御礼には、書物を一冊買うだけのお銭《あし》を遣れば、貧乏人等は喜んで話して聞かせるに違いないと、こう考え付くと美留女姫は、最早《もう》一秒時間も我慢が出来なくなった。眼の前の鸚鵡の事も忘れてしまって、直ぐに自分の室《へや》に帰って帽子を頭に載《の》せるが早いか、たった一人で家を出て只《と》ある人通りの多い橋の袂《たもと》へ駈けて来た。
 そこに暫《しばら》くの間立って待っていると、間もなくよい都合に向うから、お誂《あつら》え通りの奇妙な風体《なり》をした白髪頭の人が遣って来たから、姫は天にも昇らんばかりに喜んで、いきなりその人の前に駈け寄って袖《そで》に縋《すが》りながら十円の金貨を出して、身の上話をしてくれと頼んだ。その人は頭に高い帽子を三段も重ねて耳の処まで冠《かむ》っていた。そして身には赤い襯衣《しゃつ》を着て、青い腰巻の下から出た毛だらけの素足に半長《はんなが》の古靴を穿《は》いていたが、赤い顔に白髪髯《しらがひげ》を茫々《ぼうぼう》と生《は》やして酒嗅《さけくさ》い呼吸《いき》を吐《は》きながら、とろんこ眼で姫の顔を呆れたように見つめていた。けれども姫から大略《あらまし》の仔細《わけ》を聞くと、大きな口を開いて笑い出した――
「アハ……。そうか。ではお前はここまでお話しを買いに来たのか。成る程、それは巧い思い付きだ。そうして第一番に俺を捕《つか》まえたのは感心だ。
 世界中で俺位面白い愉快な身の上を持っているものは、他に唯の一人も無いのだからな。では今から話すからよく聞きなよ。俺は小さい時から酒が好きで、どうしても止められなかったんだ。親が死んでも構わずに酒を飲んだ。嬶《かかあ》や小供が死んでも矢張《やっぱ》り酒を飲んだ。家《うち》が火事になっても、打《う》っ棄《ちゃ》っておいて酒を飲んでいた。嬉《うれ》しいと云っちゃ飲んだ。悲しいと云っちゃ飲んだ。昨日《きのう》も飲んだ。今日もたった今まで飲んだところだ。明日《あした》も明後日《あさって》も……大方死ぬまで飲むんだろう。今からも亦《また》、お前のお金で飲んで来ようと思うんだ。これでお仕舞い……目出度《めでた》し目出度しかね。ハハハ。イヤ有り難う。左様なら」
 と云ううちに姫の掌
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