た。彼は暫くの間、唇を噛んで、ベコニヤの鉢の間にヒレ伏していた。
……助けてくれ……。
と叫び出したいような気持ちを、ジッと我慢しながら……そうしてヤットの思いで気分を取り直すと、虎蔵はイヨイヨ静かにベコニヤの鉢の間を抜けて、綺麗に刈り込んだ芝生の上に匐い上った。
眼ざす二階家は直ぐ眼の前に在った。
彼は極度に冷静になった。同時にたまらない程、残忍になった。容易ならぬ荒療治に引っかかりそうな予感と、世にも不思議な赤い光りに対する緊張が、彼の全身を空気のように軽くした。
彼の眼の前には、白っぽい石の外廊下の支柱が並んでいて、その行き止まりが、やはり白い石の外階段になっている。その中央に続きに敷かれた棕梠《しゅろ》のマットの上を、猫のように緊張しながら匐い登って行くと、すぐに一つの頑丈な扉《と》に行き当った。
その扉を見上げ、見下しているうちに虎蔵は又も、ドキンドキンとさせられた。
それは虎蔵が今日《こんにち》まで幾度となく、あこがれ望んでいながら、一度も行当《ぶつか》った記憶《おぼえ》のない種類の扉であった。その内側に巨万の富を蔵《しま》い込んでいるらしい……黒い……重たい……マン丸く光る黄金色の鋲《びょう》を縦横に打ち並べた……ただその扉が普通と違うところは、その把手《ハンドル》が少し低目に取付けてある事と、鍵穴らしいものがどこにも見当らない事であった。
……ハテナ……内側から堅固《じょうぶ》な閂《かんぬき》が突支《つっか》ってあるのかな……。
そう気が付くと同時に虎蔵は、全身がシインとなるほど失望した。この扉《とびら》を破るのは容易でない……と考えたからであった。そうしてここまで、無意味に釣り寄せられて来た自分の冒険慾を、心の片隅で後悔し初めた。
……この扉《と》に触ると、直ぐに電気仕掛か何かで、ほかへ知らせるようになっているに違いない……。
と思い思い虎蔵は、仄かな赤い光りに照らし出された花壇の片隅を、暫くの間、見下していた……が……それでも僅かに残った糸のような未練と、万一の場合の逃走力を空頼みにした彼は、彼の生涯の運命を賭ける気持で、扉の把手《ノッブ》を確《しっか》りと掴んだ。ソーッと右へ捻《ね》じってみた……。
……アッ……と声を挙げるところであった。電気に打たれたように階段を二三段飛び降りた。
扉は何の締りもしてなかった。僅かな力で把手《ノッブ》を捻じられた扉が、音もなく開くと、思いもかけぬ赤い光りの隙間が、彼の鼻の先に、縦に一直線に出来たのであった。
虎蔵はジリジリと首を縮めた。背中を丸くして膝を曲げた。息を殺して背後《うしろ》を見廻わした。どこからか怪しい物音が近付いて来はしまいかと、耳を澄まし、眼を凝《こ》らしながら身構えていたが、そのうちに薄黒いダンダラを作った花壇の向う側の暗黒を、白々と横切っている混凝土《コンクリート》塀に眼を止めると、彼は思わずニンガリと冷笑して首肯《うなず》いた。ゆるゆると背中を伸ばしながら、眼の前の赤い光りの隙間をかえりみた。
……ハハン……あの高土塀が在ると思って、安心してケツカルんだな……。
そう思い付くと同時に、虎蔵の全血管の中に新しい勇気が蘇って来た。深刻な空腹と、極度に緊張した冷血さが、彼の全身数百の筋肉に疼《うず》きみちみちて来た。それにつれて、
……これこそ俺の最後の大仕事かも知れないぞ……。
という強烈な職業意識が、スキ透るほどギリギリと、彼の奥歯に噛み締められて来た。
恐ろしいものが一つ一つに彼の周囲から消え失せて行った。
彼は生皮革《なまがわ》で巻いたマキリの※[#「木+霸」、第3水準1−86−28]《つか》をシッカリと握り直した。谷川の石で荒磨《あらとぎ》を掛けた反《そり》の強い白刃《しらは》を、自分の背中に押し廻しながら、左手で静かに扉を押した。
それは天井の高い、五|間《けん》四方ぐらいの部屋であった。幽雅な近代風のゴチック様式で、ゴブラン織の深紅《しんく》の窓掛を絞った高い窓が、四方の壁にシンカンと並んでいた。
その窓と窓の間の壁面《かべ》に、天井近くまで畳み上げられている夥《おびただ》しい棚という棚には、一面に、子供の人形が重なり合っているようである。和洋、男女、大小を問わず、裸体、半裸体、軽装、盛装の種類をつくして、世界中のあらゆる風俗を現わしているらしい抱き人形の一つ一つが皆、その大きく開いた眼で、あらぬ空間を眺めながら、この上もなく可愛らしい微笑を含んでいるようである。永遠に変らぬ空虚のイジラシサを競い合っているようである。
虎蔵は眼をパチパチさせた。瞼《まぶた》をゴシゴシとこすって瞳を定めた。
部屋の中央には土耳古《トルコ》更紗《さらさ》を蔽《おお》うた、巨大な丸|卓子《テーブル》が置いてある
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