《いづこ》より手に入れ来るやらむ和蘭《オランダ》の古酒なんどを汗みづくとなりて背負ひ帰るなんど、その忠実々々《まめ/\》しさ。身体の究竟《くつきやう》さ。まことに奈美女の為ならば生命《いのち》も棄て兼ねまじき気色なり。
さはさりながら奇怪千万にも馬十は、われを主人とは思ひ居らざるにやあらんずらん。わが云ひ付けし事は中々に承《う》け引かず。わが折入つて頼み入る事も、平然と冷笑《あざわら》ふのみにして、捗々《はか/″\》しき返答すら得せず。奈美女の言葉添なければ動かむともせざる態《さま》なり。われ其の都度に怒気、心頭に発し、討ち捨て呉れむと戒刀《かいたう》を引寄せし事も度々なりしが、さるにても彼を失ひし後の山寺の不自由さを思ひめぐらして辛くも思ひ止まる事なりけり。
然るに此の山寺に来てやゝ一年目の今年の三月に入り、わが気力の著じるく衰へ来りしより以来《このかた》、彼の馬十の顔を見る毎に、怪しく疑ひ深き瞋恚《しんに》の心、しきりに燃え立ちさかりて今は斯様《かう》よと片膝立つる事|屡々《しば/\》なり。後は何ともならばなれ。わが気力の衰へたるは、此《この》程、久しく人を斬らざる故にやあらん
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