々畠に棚引く菜種、蓮花草の黄に紅に、絶間なく揚る雲雀《ひばり》の声に、行衛も知らぬ身の上を思ひ続けつゝ、幾度となく欠伸し、痴呆《うつけ》の如くよろめき行く様《さま》ひとへに吾が生胆《いきぎも》を取られたる如し。
さる程に不思議なる哉。いまだ左程に疲れもやらぬ正午下《ひるさが》りの頃ほひより足の運び俄かに重くなりて、後髪《うしろがみ》引かるゝ心地しつ。昨日吸ひたる香煙《かうえん》の芳ばしき味ひ、しきりになつかしくて堪へ難きまゝに、われにもあらず長崎の方へ踵《くびす》を返して、飛ぶが如く足を早むるに、夢うつゝに物思ひ来りし道程《みちのり》なれば、心覚え更に無し。今来し道を人に問ひ/\引返し行く程に、いつしか、あらぬ山路に迷ひ入りけむ、行けども/\人家見えず。されども香煙のなつかしさは刻々に弥増《いやまさ》り来りて今は心も狂はむばかり。胸轟き、舌打ち乾き、呼吸《いき》も絶えなむばかりなり。
折ふし薪を負ひて、さがしき岩道を降り来れる山乙女あり。われ半面を扇にて蔽ひつゝ、その乙女を呼び止めて、長崎へ行く道を問ふに、乙女は恥ぢらひつゝ笠を取り、いと懇《ねんごろ》に教へ呉れぬ。彼《か》の長崎に
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