し。今は何ともならばなれと思ひ定めて和尚の枕元なる種子島の弾丸、轟薬を二つながら抜取り、代りに唾液《つば》にて噛みたる紙玉を詰め置き、扨《さて》、和尚を揺起して、かく/\の人、六部の姿して此寺に来ませしと、世間の噂、取り交ぜて告げ知らせしに和尚、打喜ぶ事|一方《ひとかた》ならず。好的々々《よし/\》。汝《な》が昔の恋人を血膾《ちなます》にして、汝《なれ》と共に杯を傾けむ。外道《げだう》至極の楽しみ、之《これ》に過ぎしと打笑ひつゝ起上りしが、遂に妾が計略に掛かりて、今の仕儀となり果て終りしものに侍り。
 かく浅ましく汚れし身の昔を語るも恥かしや。さるにても鬼三郎ぬし。恋は昔にかはらぬものを。かく成り果てし吾身《わがみ》をいとしと思ひ給はぬにか。御身の思召《おぼしめし》一つにて、わらはの思ひ定むる道も変りなむ。わらはの真心の程は、和尚の死骸《なきがら》を見ても眼《ま》のあたりに思ひ知り給ふべしと、思ひ詰めたる女の一念。眥《まなじり》を輝やかす美くしさ。心も眩むばかり也。
 われ喜ぶ事一方ならず。思はずお奈美殿の前にひれ伏しつ。有難し。忝し。世間の噂は皆|実正《まこと》なり。われと吾身に計り知られぬ罪業を重ねし身。天下、身を置くに処無し。流石《さすが》法体《ほつたい》の身の、かゝる処に来合はせし事、天の与ふる運命《さだめ》にやあらんずらん。われと解《ほど》きし赤縄《えにし》の糸の、罪に穢《よご》れ、血にまみれつゝめぐり/\て又こゝに結ぼるゝこそ不思議なれ。御身は若衆姿。わが身は円頂黒衣。罪障、悪業に埋もれ果つれども二人の思ひに穢れはあらじ。可憐《いとし》の女《ひと》よと手を取らむとすれば、若衆姿の奈美女、恥ぢらひつゝ払ひ除《の》け。心|急《せ》き給ふ事なかれ。まづ此方《こちら》へ入らせ給へ。見せ申すべきものありとて、われを本堂の内陣に誘ひ、壇に登りてマリア像の肩に両手をかけ、おもむろに前へ引き倒ふすに、その脚の下の蓮台と思《おぼ》しきものの辺《あたり》、左右に引き開け、階段の降り口、大きく開けたり。その下へ二人して降り行くに一度倒ふれしマリア像は自から共に立ち帰りたるらし。階段は真の闇となりて足音のみぞ、おどろ/\しくより増《まさ》りける。
 奈美女、わが手を取りて其の中を二三間ほど歩み降り行くに、土中の冷気身に泌みて知らぬ世界へ来し心地しつ。やがて彼女の手より閃めき出で
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