の終りは唐紅《からくれなゐ》の血となりて初花の鼻と唇より迸り出づる。
続いて残る九人の生命《いのち》が相次ぎて磔刑柱《はりつけばしら》の上に消え行く光景《ありさま》を、眼も離さず見居りたるわれは、思はず総身水の如くなりて、身ぶるひ、胴ぶるひ得堪へむ術《すべ》もあらず。わなゝく指にて裾を紮《から》げ、手拭もて鉢巻し、脇差の下緒《さげを》にて襷《たすき》十字に綾取る間もあらせず。腕におぼえの直江志津を抜き放ち、眼の前なる青竹の矢来を戞矢《かつ》々々と斬り払ひて警固のたゞ中に躍り込み、
「初花の怨み。思ひ知れやつ」
と叫ぶうち手近き役人を二三人、抜き合せもせず斬伏《きりふ》せぬ。
素破《すは》。狼藉よ。乱心者よと押取《おつと》り囲む毬棒《いがばう》、刺叉《さすまた》を物ともせず。血振ひしたるわれは大刀を上段に、小刀を下段に構へて嘲《あざ》み笑ひつ、
「やおれ役人|輩《ども》。よつく承れ。
役人の無道を咎むる者無きを泰平の御代とばし思ひ居るか。かほどの無道の磔刑《はりつけ》を、怨み悪《にく》む者一人も無しとばし思ひ居るか。
われこそは生肝取りの片面鬼三郎よ。汝等が要らざる詮議立てして、罪も無き罪人を作る閑暇《ひま》に、わが如き大悪人を見逃がしたる報いは覿面《てきめん》。今日、此のところに現はれ出でたる者ぞ。これ見よやつ」
と叫ぶとひとしく名作、直江志津の大小の斬れ味鮮やかに、群がり立つたる槍襖《やりぶすま》を戞矢《かつし》々々と斬り払ひ、手向ふ捕手《とりて》役人を当るに任せて擲《なぐ》り斬り、或は海へ逐《お》ひ込み、又は竹|矢来《やらい》へ突込みつゝ、海水を朱《あけ》に染めて闘へば、四面数万の見物人は鯨波《げいは》を作つて動揺《どよ》めき渡る。さて逃ぐる者は逃ぐるに任せつつ、死骸狼藉たる無人の刑場を見まはし、片隅に取り残されたる手桶|柄杓《ひしやく》を取り上げ、初花の磔刑柱《はりつけばしら》の下に進み寄りて心静かに跪き礼拝しつ。
「やよ。初花どの。霊あらば聞き給へ。御身の悪念は此の片面鬼三郎が受継ぎたり。今の世の悪念は後の世の正道たるべし。痛はしき母上の御霊《みたま》と共に、心安く極楽とやらむへ行き給へ。南無幽霊頓性菩提」
と念じ終つて柄杓の水を、血にまみれたる初花の総身に幾杯となく浴びするに、数万の群集の鬨《とき》を作つて湧き返る声、四面の山々も浮き上るばか
前へ
次へ
全30ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング