持ちで謡う時は、その通りの気持が、前の模倣的な節扱いよりも遥かに自由自在に、且つ切実に、深刻にあらわれる。すなわち声の定型の妙味は、舞の定型の妙味と少しも違わない。

     不自然、不調和、不合理の美

 以上は能の舞、謡、囃子に定型的な……無意味なものが何故に多いか。それが何故模倣、写実の千差万別的な表現よりも変化が多いか。直説法式に深刻な舞台効果をあらわすか。演者と観者の主観を一如の美しさに結び付けるかという理由の一端を、辛《かろ》うじて説明したものである。
 しかし、能の各種の表現には、以上の如き説明も及ばない全然無意味、不合理、もしくは不調和と見えるものが決して些《すくな》くない。
 何等の感激もないところに足拍子を踏む。美しい風景をあらわす場合に、観客に背中を向けて歩くという最も舞台効果の弱い表現をする。最も感激の深かるべきところを、一直線に通過する。そうかと思うと、格別大した意味のないところで技巧を凝らすなぞいう例がザラに在る。能楽が無意味の固まりのように思えるのは無理もない。
 ところがよくよく味わってみると、その無意味な変化は、全体の気分の上から出て来たものであった
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