してみると、実に雑然として混沌たるものがある。乞食歌もあれば、お経文もある。純日本式の思想もあれば、支那、印度の思想も取り入れられている。装束の模様、彫刻の刀法、その他、何から何まで陳紛漢紛《ちんぷんかんぷん》のゴモクタ芸術であるが、それを純日本人式の芸術的表現力を以て、最高度に統一支配して、透きとおるほど切実に観る者、聴くものに迫って来る。そうした事実を尚深く遡って考えると、能が出来る迄には雅楽、幸若舞《こうわかまい》、田楽、何々舞、何々狂言なぞいう、能楽の前身とも云うべきものが非常に発達していたらしい。しかもそうした諸般の演出物は、或は芸術的の迷妄に陥り、又は民衆に媚びて堕落し、又は儀礼的に高踏し過ぎて、芸術的の迷妄や行き詰りに陥りつつも、何かしらより高尚な、より充実した……或るタマラナイ表現慾を満足させ得べき芸術……すなわち能を生み出すべく、生みの悩みを続けていたものらしい。
 そのような慾求の中から生まれたものが能である事を信じたい。能は、こしらえたものでなく、出来たものである事を私は飽く迄も信じたい。
 私は学者でないから、そのような事を如実に考証する力はないが、今日迄色々聞
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