とかを棄てる場合は一定しているから、その場合に眼立たぬ態度で拾って来る。又は造物《つくりもの》、床几《しょうぎ》等を出したり入れたり按配《あんばい》したりする加減に注意するので、そんな仕事のない能では、初めからしまいまで唯座っているきりである。
 いずれにしても能の舞台面で一番エライ人は、何と云っても監督で、その舞台面の現実的な守り神である。
 能は常に以上の諸要素を以て、舞台面上に別|乾坤《けんこん》を形成して行く。

     彫刻のたとえ

 能楽は過去現在未来を貫いて、如何なる方面に進化して行きつつあるか……という事は以上述べて来たところに依って、あらかた察せられた事と思う。
 併《しか》し、尚ここに別項を設けて、今|些《すこ》しハッキリと私見を述べておきたいと思う。
 すなわち、能楽の進化の中心を一直線にして云いあらわすと繁雑から単純へ……換言すれば外形的から内面的へ……客観から主観へ……写実から抽象へ……もう一つ突込んで云えば物質から精神へ……という事になる。
 私は思う。すべての芸術の進化の方面は唯二つしかない……と……。
 たとえば先ず、ここに一人の芸術家アルファがあら
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