人の真似をする猿の名を冠せたものではあるまいかという人もあるそうであるが、もしそうとすれば、現在の舞の手ぶりの中には、その真似の分子も沢山あると同時に、真似でなくて直接にその物(月なら月、風なら風)をそのままに現わす舞い方が又、非常に沢山あるのを考え合わせると、その原始的な物真似から蝉脱《せんだつ》して来た表現の進化が、如何に甚しいかがわかる。
脚 本
能としての作曲の型が出来ると同時に、その型に当て嵌《はま》った脚本が沢山に出来たらしい。現在伝わっている曲の名前だけでも千何百とかいう位である。
しかし、そんな作者、もしくは脚色家は、極めて少数であったらしく思われる。すなわち作者の名前として伝わっているのが極めて少数である事……能に盛り込まれている人生観や、宗教観、又は、その文句や脚色にニジミ出している個性や癖なぞに、共通的なにおい[#「におい」に傍点]がかなり多い事……なぞから、そうした事実があらかた察せられる。もしかすると、全部同一人ではないかとさえ疑わるる位である。
ところで、そんなに沢山に出来た能の曲目は、能の興隆と共に次第に減少して来た。すなわち、芸術的
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