とかを棄てる場合は一定しているから、その場合に眼立たぬ態度で拾って来る。又は造物《つくりもの》、床几《しょうぎ》等を出したり入れたり按配《あんばい》したりする加減に注意するので、そんな仕事のない能では、初めからしまいまで唯座っているきりである。
 いずれにしても能の舞台面で一番エライ人は、何と云っても監督で、その舞台面の現実的な守り神である。
 能は常に以上の諸要素を以て、舞台面上に別|乾坤《けんこん》を形成して行く。

     彫刻のたとえ

 能楽は過去現在未来を貫いて、如何なる方面に進化して行きつつあるか……という事は以上述べて来たところに依って、あらかた察せられた事と思う。
 併《しか》し、尚ここに別項を設けて、今|些《すこ》しハッキリと私見を述べておきたいと思う。
 すなわち、能楽の進化の中心を一直線にして云いあらわすと繁雑から単純へ……換言すれば外形的から内面的へ……客観から主観へ……写実から抽象へ……もう一つ突込んで云えば物質から精神へ……という事になる。
 私は思う。すべての芸術の進化の方面は唯二つしかない……と……。
 たとえば先ず、ここに一人の芸術家アルファがあらわれて、初めて彫刻という芸術を創始したとする。そうして一生の中にA、B、C、D、E……という風に色々の標題の彫刻を作って死ぬ。
 そうするとその後を嗣《つ》いだ弟子のビータは、師たり、先輩たるアルファの残した作品を観賞研究し、更に今一歩進んだ芸術的心境を盛り込んだL、M、N、O、P、Q……という数百千の彫刻を作って死ぬ。その次のガムマも亦同様の仕事を繰返して死ぬ……という順序で、人類世界に存在する彫刻作品の数は殖《ふ》えるばかり。すなわち、その芸術が進歩向上して行くに連れて、新しい作品が無限に数を増して行く……という……これが芸術の進化の一方法で、現在地球の表面上に於ける大部分の芸術はこの方法によって進化向上しつつあるようである。
 然るに今一つの進化の仕方はこれと正反対で、進歩すると共に減って行くという行き方である。
 すなわち、第一代の彫刻家Aが作った甲乙丙丁以下数百千の彫刻を第二代のBが鑑賞し批判しつつ、毎日毎日精魂を凝らして眺めているうちに、どうも気に入らぬ処が出来て来る。あそこを削ったら……又は、あそこを今少し高めたら……とか思うようになる。そんな処を甲乙丙丁の一つ一つに就い
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