になって来るであろう。それよりも軍人なら軍人、狂女なら狂女という風に一定した……仮面に一番よくうつると同時に最も舞台効果ある服装の洗練純美化されたものを着せる。あれは軍人、あれは狂女と一眼でわかるようにする。すなわち観客に余計な頭を使わせないで、ただ仮面と、キモノと、舞台との非現実的に美しい調和の裡に、その主演者の表現能力のみを味わせた方が、はるかに舞曲らしいであろう。

     造り物と小道具

 これは能の舞台面に用いる家とか舟とか、樹木とか、又は演出を補助する糸車、鏡、桶、釣竿、なぞいうものであるが、これも初めはかなり写実的なもので種類も沢山あったのを、次第に単純化されたり、廃棄されたりして来た形跡がある。
 たとえば船は一々布で張って、船の形にしていたのが、今日では只、四角い枠の前後に、半楕円形に曲げた竹を取りつけて、それから白い布で巻いただけである。丁度小児がチョークで描いた西洋浴槽《バス》みたようなもので、船の位置だけを見せるようなものである。それを船頭が一人で提げて来ても誰も笑わない。否《いな》。もう一歩進んで、その船さえも無しに海上の表現をした方が、仮面舞踊の表現としては自然だと考えられている位である。そのほかの家、門、車、樹木等も皆前の舟と同様な単純な、象徴的な形のもので、仮面の装束の象徴的な表現と如何にして調和させるかという舞台効果のみを主眼として選択、改廃されて来たものである。
 その他、日月星辰、風雨明暗、山川草木等の森羅万象に関する背景、その他の大道具、小道具、舞台設備等いうものは絶無で、ひたすらに舞い手(主として主演者)の表現力によって、実物以上に深刻に美しく印象させられて行くばかりである。
 一方から見れば、昔沢山にあった大道具、小道具は、次第に舞い手と謡い手と囃し手の表現能力(即ち仮面と装束の超自然的に偉大な表現力)の中に取り入れられて消滅してしまった……という事が出来る。

     出 演 者

 ここに云う出演者は地謡い(合唱隊)と囃方と後見とを除いたもので、扮装をして出て来る、曲中の人物のみを指す。
 これも昔は必要に応じて、各種の人物を大勢出したものを、出来るだけ少数にして舞台効果を高めるべく努力して来た。多数の人間を登場さして舞台面の空弱な処を埋めたり、その人数の多さに依って演出の価値を向上させたりする行き方とは正反対で
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