発達していたであろう芝居、物真似、田楽《でんがく》、狂言、民謡、又は神楽、雅楽、催馬楽《さいばら》なぞいうものの中から、芸術的に高潮した……イイナア……と思われる処だけを抜き萃《あつ》めて、仮面舞踊として演出しているうちに一つの演出の型が出来上ったのかも知れない。たとえば主演者と助演者の科白や、所作の振り割りとか、舞、謡、囃子の演出に関する芸術的責任の分野とか、次第、道行き、一声《いっせい》、サシ、下歌《さげうた》、上歌《あげうた》、初同《しょどう》、サシクセ、ロンギ、笛の舞、切りというような演出の順序とかいうものが、舞、謡、囃子の舞台効果を目標として洗練されて行くうちに自から生れ出たものではないかとも考えられる。それに色々な出来事や、物語を嵌め込んで、能と名付けて興行したものかとも考えられるのであるが、しかし、これは要するに一ツの推量で、当てにはならない。正直に云うと私は只、猿楽と名の付いた以後の「能」に就いてしか考え得ないのである。
その猿楽という名前が、どこから来たものかという事に就いても、色々の説があるらしいが、私にはサッパリわからない。能はよく物の真似をして舞うために、よく人の真似をする猿の名を冠せたものではあるまいかという人もあるそうであるが、もしそうとすれば、現在の舞の手ぶりの中には、その真似の分子も沢山あると同時に、真似でなくて直接にその物(月なら月、風なら風)をそのままに現わす舞い方が又、非常に沢山あるのを考え合わせると、その原始的な物真似から蝉脱《せんだつ》して来た表現の進化が、如何に甚しいかがわかる。
脚 本
能としての作曲の型が出来ると同時に、その型に当て嵌《はま》った脚本が沢山に出来たらしい。現在伝わっている曲の名前だけでも千何百とかいう位である。
しかし、そんな作者、もしくは脚色家は、極めて少数であったらしく思われる。すなわち作者の名前として伝わっているのが極めて少数である事……能に盛り込まれている人生観や、宗教観、又は、その文句や脚色にニジミ出している個性や癖なぞに、共通的なにおい[#「におい」に傍点]がかなり多い事……なぞから、そうした事実があらかた察せられる。もしかすると、全部同一人ではないかとさえ疑わるる位である。
ところで、そんなに沢山に出来た能の曲目は、能の興隆と共に次第に減少して来た。すなわち、芸術的
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