……フーン……だから温泉で僕に打ち明けたんだね」
「……エエ……まあそうよ……そうしたら昨夜、夜中から胸が苦しいと云い出してネ、今朝、お隣りの山際っていうお医者さんに診《み》せたら心臓の工合がわるいって云うの。そうして先刻《さっき》まで何本も注射をしたけどチットも利かないで、物も云わずに藻掻《もが》きはじめたの……何を云ってもわからないのよ……もう駄目なんですってさあ」
「ちょうどよかった」
「ええ……だからあなた早く来て頂戴な。そうして何とか芝居をして頂戴な……あたし何だか怖くなったから……」

「……バカ……何が怖い……そんな事は覚悟の前じゃないか……初めっから……」
「だって医者が見ている前で口と鼻からダラダラ出血し初めたんですもの……あのお薬は妾が聞いたのと何だか違っているようよ。……お医者が青くなって妾の顔を見ながら、これは何かの中毒だって云ったから、妾|身支度《みじたく》をして、うちにある現金と、銀行の通帳《かよいちょう》を持って、裏口からソッと脱け出してここへ来たの……あなたと一緒に預金を引き出して逃げようか、どうしようかと思って……」
「駄目だよ。浜村銀行は払やしないよ
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