ていた。私の電話に対する敏感さをスッカリ面喰らわされてしまったまま……。
 ……千万長者の叔父を呼び棄てにする若い女が一人居る……その女は私の名前を知っている……否、もっともっと詳しく私について知っているらしい口ぶりである。……そうして何がなしに一寸《ちょっと》冷やかして見ようぐらいの考えで、私を電話口に呼び出してみたものらしい……。
 という感じだけが、私の脳髄の中心にキリキリと渦巻き残ったまま……。
 私は小説の続きも何も忘れて、表の窓や扉《と》をヤケに手荒く締めると、暗い階子《はしご》段を二階に上って、蠅の糞《ふん》で真白になった電球の下に仰向けに寝ころんだ。
「ホホホホホホホホ」
 という……冷笑とも、皮肉とも、媚《こ》びともつかぬ透きとおった笑い声を、いつまでもいつまでも耳の中で聞き味いつつ、室《へや》中が真白になるまでネーヴィカットの煙《けむ》を吹き出していた。

 その翌る朝、いつもより早く起きた私は、まだ開店まで一時間以上もあると思い思い、寝巻のまま叔父の椅子に腰をかけて、投げ込まれた新聞を読んでいると、思いがけなく店の前に大きな自動車が停まって、白いダブダブの詰襟を着たパナマ帽の叔父が、一人の令嬢の手を引いてニコニコしながら這入《はい》って来た。
 それは二階の美人画とは全然正反対の風付《ふうつ》きをした少女であったが、それでいてF市界隈は愚か、東京あたりにでも滅多に居ないシャンであろうことが、世間狭い私にも容易にうなずかれた。小男の叔父よりもすこし背が低くて、二重《ふたえ》まぶたの大きな眼が純然たる茶色で、眉が非常に細長くて、まん丸い顔の下に今一つ丸まっちい腮《あご》が重なっていた。縮らした前髪を眉の上で剪《き》り揃えたあとを左右に真二《まっぷた》つに分けて、白い襟首の上にグルグル捲きを作って、大きな、色のいい翡翠《ひすい》のピンで止めたアンバイは支那婦人ソックリの感じであった。小ぢんまりした身体《からだ》には贅沢なものらしい透かし入りの白い襦袢《じゅばん》と、ヴェールのように薄い、黒地の刺繍入りの着物を着込んで、その上から上品な銀色の帯と、血のように真赤な帯締めをキリキリと締めていたが、それが小さい白足袋《しろたび》に大きなスリッパを突っかけながら、叔父の蔭に寄り添ってオズオズと私の前に進んで来た時は、どう見ても大富豪の一人娘か何かで、十六か七ぐらいのろうたけた[#「ろうたけた」に傍点]令嬢としか見えなかった。
 私は新聞を手に持って、椅子に腰をかけたまま、唖然としてその姿を見上げ見下した。敏感な私の神経はこの令嬢が昨日《きのう》、電話で私に笑いかけた声の主である事を、とっくの昔に直覚していたのであったが、しかも、そうした私の直覚と、眼の前にしおらしく[#「しおらしく」に傍点]伏し眼になって羞恥《はにか》んでいる美少女の姿とは、どう考えても一緒にならないのであった。もしかしたら私の直覚が、今度に限って間違っているのではなかろうか……なぞと一人で面喰っているうちに叔父は帽子を脱いで汗を拭き拭き、反《そ》り身《み》になって二人を紹介した。
「これは俺の拾い物だよ。お前の従妹《いとこ》で俺の姪《めい》なんだ。俺たちには、もう一人トヨ子という腹違いの妹があったんだが、俺達の両親も、お前の死んだ親父《おやじ》もそれを隠していたらしいんだ。そのトヨ子……つまりお前の叔母さんだね……それが生み残したのがこの友丸伊奈子《ともまるいなこ》という娘で、早くから母に別れていろいろと苦労をしたあげく、長崎の毛唐《けとう》の病院の看護婦をしていたんだが、俺の名前が時々新聞に出るようになったもんだから、もしやと思って、昨日わざわざ長崎から尋ねて来たんだ……いいか……これが昨日話した愛太郎だ。お前たちは、ほかに肉親《しんみ》の者が居ないからホントウの兄妹《きょうだい》みたようなもんだ。ハハハハハハ」
 二人は叔父の笑い声の前で椅子から立ち上って「どうぞよろしく」と挨拶を交した。私は内心気味わるわると……彼女は上品に、つつましく……。
 叔父はそれから如何にも得意そうに、脂肪でピカピカ光る顔を撫でまわしながら、伊奈子の母親に関するローマンスを話し始めた。それは……
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 ……伊奈子が七歳の時であった。K市の富豪友丸家の第二夫人で、まだ若くて美しかった彼女の母親は、伊奈子も誰も知らない正体不明の情夫から夫を毒殺された後《のち》に、自分自身もその男から受けた梅毒に脳を犯されて発狂してしまった。そうして色々な事を口走り始めたので、その罪の発覚を恐れたらしい情夫は、或る真暗い晩に病室に忍び込んで、枕元の西洋手拭で絞殺すると同時に、一緒に寝ていた伊奈子を誘拐して行った事がその頃の新聞に出ていた。あとの財産はどうなったか解らない
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