鉄鎚
夢野久作

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)栄養物を摂《と》って

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一枚一枚|叮嚀《ていねい》に

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「ユ−一」、屋号を示す記号、273−2]善《かねぜん》
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 ――ホントウの悪魔というものはこの世界に居るものか居ないものか――
 ――居るとすればその悪魔は、どのような姿をしてドンナ処に潜み隠れているものなのか――
 ――その悪魔はソモソモ如何なる因縁によって胎生しつつ、どのような栄養物を摂《と》って生長して行くものなのか――
 ――その害悪と冷笑とを逞ましくし行く手段は如何――
 斯様《かよう》な質問に対して躊躇《ちゅうちょ》せずに答え得る人間は、そう余計には居るまいと思う。
 然るに私はまだヤット二十歳《はたち》になったばかしの青二才である。だから聖人でも哲学者でもない筈であるが、しかしこの問いに対しては明白に答え得る確信を持っている。
 ――ホントウの悪魔とは、自分を悪魔と思っていない人間を指して云うのである――自分では夢にも気付かないまんまに、他人の幸福や生命をあらゆる残忍な方法で否定しながら、平気の平左で白昼の大道を濶歩して行くものが、ホントウの悪魔でなければならぬ。――
 ――だから真個《ほんと》の悪魔というものは誰の眼にも止まらないで存在しているのだ――
 ――そのような悪魔の現実社会に於ける生活とか、仕事とかいうものが如何に戦慄すべきものがあるかという事なぞも、滅多に考えられた事がないのだ――
 ……と……。
「彼奴《あいつ》は悪魔だ。お前と俺の生涯をドン底まで詛《のろ》って来た奴だ。今度彼奴に会ったら、鉄鎚《かなづち》で脳天を喰らわしてやるんだぞ。いいか。忘れるなよ」
 親父《おやじ》は私にこう云って聞かせるたんびに、煎餅蒲団《せんべいぶとん》の上で起き直った。蓬々《ぼうぼう》と乱れた髪毛《かみ》と髯《ひげ》の中から、血走った両眼をギョロギョロと剥《む》き出して、洗濯板みたいに並んだ肋骨《あばらぼね》を撫でまわしてゼイゼイゼイゼイと咳《せき》をした。そのうちに昂奮して神経が釣り上って来ると、その悪魔が眼の前に坐っている
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