叔父と伊奈子の死骸を突きつけられた時も、彼女が叔父の妾《めかけ》であったという事以外に何一つ知らないと云い切った。そうして未決監で正月を済ますと間もなく証拠不充分で釈放された。その間の寒さは私の骨身にこたえ[#「こたえ」に傍点]た。
 霜の真白な町伝いに取引所前の店に帰ってみると、表の扉《と》は南京錠をかけたままになっていた。私はとりあえず支那料理屋に電話をかけると、すぐに二階に上ってなつかしい葉巻の煙に酔いつつこの遺書《かきおき》を書き始めた。
 しかし私は、三週間ばかり前から大評判になっている「檜《ひのき》御殿」の謎を解く目的でこの筆を執《と》ったのではない。同時に私が監房の中で自殺を決心したのは、一文無しになった自分の前途を悲観したからではない。
 又は、
[#ここから1字下げ]
 ……叔父も伊奈子もシンカラの悪魔ではなかった。彼等を眩惑して悶死させながら、平気で冷笑していた私こそ……ホントウの……生れながらの悪魔であった……。
[#ここで字下げ終わり]
 という事をシミジミ自覚したからでもない。
 伊奈子の恐ろしい死に顔を見た瞬間に、彼女の真実を知ったからであった。
 眼に見えぬ鉄鎚《かなづち》で心臓をタタキ潰されたからであった。



底本:「夢野久作全集3」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年8月24日第1刷発行
底本の親本:「日本探偵小説全集 第十一篇 夢野久作集」改造社
   1929(昭和4)年12月3日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:柴田卓治
校正:久保あきら
2000年6月17日公開
2006年3月8日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全35ページ中35ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング