したものが、この頃はソンナ気振《けぶり》も見せませぬ。ただ緊張した憂鬱な、神経質な顔をして、私が何か云おうとしましてもチラチラと瞬《またた》きした切り自分の部屋へ逃込んで行きます。もちろん、その原因は私にはわかりかねますが、轟の劇場関係と、財産[#底本では「財閥」と誤記]関係の仕事は皆、呉服橋劇場の支配人の笠圭之介《りゅうけいのすけ》さんが一人で仕切って受持っておられます。大正十年の三月七日といえば、私が三つの年の事ですから、何事も記憶に残っておりませぬ。私はその三つの年に何かの事情で、年老《としお》いた両親の手から引取られて轟の世話になって来ておりますので、それから今年までの二十年間、轟は独身のまま私を育てるために色々と苦労をしておりますが、詳しい話は存じませんと巧妙に逃げおった」
「何か隠している事があるんじゃないですか」
「それがないらしいのだ。劇場主なんちういうものは一般の例によると相当複雑な生活をしているもんじゃが、今の呉羽嬢や、女中達や、支配人の笠圭之介の話なんかを綜合すると、この被害者ばかりは特異例なんだ。轟九蔵氏に限って非常に簡単明瞭な日常生活である。劇場付の女優に手を
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