「ダ誰か来てくれッ。芝居じゃないゾッ」
 それは大森署の文月巡査であった。その中《うち》に幕の横や下から笠支配人を先に立てた四五人が馳寄《はせよ》って来て、呉羽の身体《からだ》を無造作に、向って左の方へ抱え上げて行った。
 冷やかなベルの音に連れて、天井裏から真紅の本幕が静々と降り初めた。その幕の中央には眼も眩ゆい黄金色の巨大な金文字で「天川呉羽嬢へ」「段原万平」と刺繍してあった。
 万雷の落ちるような大拍手、大喝采が場内を狂い渦巻いた。ビュービューと熱狂的な指笛を鳴らす者さえ居た。
 そうして先を争う蛆虫《うじむし》の大群のようにゾロゾロウジャウジャと入口の方向へ雪頽《なだ》れ初めた。
「シバイダ……シバイダ……」
「ドコマデモ徹底的な写実劇だ」
「スゴイスゴイ深刻劇だ」
「……バカ……そんなのないよ。怪奇心理劇てんだよコレア……」
「ああスゴかった」
「ステキだった」
「あすこまで行こうたあ思わなかった」
 そうして又、思い出したように方々から振返って拍手の嵐を送るのであった。
 しかし、その大勢の中にタッタ二人だけ、拍手しない者が居た。それは正面、特等席の中央に居る江馬|兄妹《き
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