も何となく呉羽さんに一パイ喰わされて、睨めっこをさせられているような気がし初めたんだね。そこでドッチからともなく二人が寄り合って、ザックバランに膝を突き合わせて話合ってみると、ドウモ呉羽さんの二人に云った言葉尻が怪しい。これはこの興行の邪魔にならないように、吾々二人を東京から遠ざける計略じゃなかったのか……呉羽さんは、こうして吾々二人が承知しそうにない無鉄砲な興行を、自分一人でやっつける了簡《りょうけん》じゃないのか……という事になって来ると、まさかとは思いながら二人とも急に不安になって来たもんだから、大急ぎで勝手な汽車に乗って帰ることに話をきめたもんだ」
「ずいぶん鈍感ねえ。お二人とも……」
「そう云うなよ。呉羽さんの腕が凄いんだよ」
「それからドウなすって……」
「ところがサテ……帰って来てみると俳優たちは一人残らず口止めをされていると見えて、芝居の筋なんか一口も洩らさない。それから考えて楽屋裏の大道具を覗いてみると、まだハッキリはわからないが、ドウモ僕の註文した場面とは違うような道具が出て来るらしいので、イヨイヨ心配になって来た。だから藪蛇かも知れないとは思ったがツイ今しがたの事だ。此席《ここ》へ来る前に警視庁の保安課へ寄って、興行係の片山っていう心安い警部に会って、済まないがモウ一度あの上演本《あげほん》を見せてもらえまいかって頼むとドウダイ。イキナリ僕の手をシッカリと握って離さないじゃないか……あの筋書はどこから手に入れた……って眼の色を変えて聞くんだ。俺あギョッとしちゃったよ。まったく……」
「……そうでしょうねえ……ホホ……」
「片山警部の話はこうなんだ……あの二通の上演脚本《あげほん》は八月の十五日に願人《ねがいにん》の桜間っていう弁護士から受取って、九月の三日に許可したものだが、その九月六日……昨日《きのう》の朝の事だ、新聞の広告を見た大森署の司法主任の綿貫警部補っていうのがヒョッコリと警視庁へ遣って来て、あの『二重心臓』の上演脚本《あげほん》を見せてくれと云うのだ。お安い御用だというので見せてやると、読んでいる中《うち》に綿貫警部補の顔が真青になって来た。……済まないが、ほんのチョットでいいからこの脚本《ほん》を貸してもらえまいかという中《うち》に、引ったくるようにポケットに突込んで、無我夢中みたいに自動自転車《オートバイ》に飛乗って帰った」
「……まあ怖い……」
「それから夕方になって汗だくだくの綿貫警部補が、礼を云い云い返しに来た時の話によると大変だ……あの筋書は、この間死んだ轟九蔵氏と、犯人以外に一人も知っている筈がない。きょうが今日まで犯人に、あの筋書と同じような事実について口を割らせようと思って、どれ位、骨を折ったかわからないんだが、あの上本《あげほん》が手に這入ったお蔭で犯人がヤット口を割った。多分作者が、死んだ轟氏から秘密厳守の約束か何かで聞いていた話だろうと思って、まだ大森署に置いてある犯人に、あの筋書を読んで聞かせて、間違っている処を訂正させた序《ついで》に、呉羽さんの興行の話を聞かせてやったら、ドウダイ突然に顔色を変えて、その興行を差止めて下さいと怒鳴り出したもんだ。折角の私の苦心が水の泡になりますと云うんだそうだ」
「生蕃小僧がそう云うの……」
「ウン。怖い顔から涙をポロポロこぼして泣きながら、私の一生のお願いで御座います。ドウセ死刑になります身体《からだ》に思い残す事はありませぬが、こればっかりはお情です。どうぞやドウゾお助けを願います。さもなければここで舌を噛んで死にます……と云って、しまいにはオデコを板張に打ち附けて、顔中を血だらけにして、キチガイのように暴れまわりながら哀願するんだそうだ」
「……まあ……何て気味の悪い……」
「……だから綿貫司法主任が、そんならその貴様の苦心というのは何だって聞いてみたら、こればっかりは御勘弁を願います。とにかくそのお芝居ばっかりは、お差し止めにならないと大変な事になります。さもなければ、そのお芝居の初まる前にモウ一度天川呉羽さんに会わして下さい。お願いですお願いですと滅法《めっぽう》矢鱈《やたら》に駄々《だだ》を捏《こ》ねて聴かないのには往生した。死刑囚にはよくソンナ無理な事を云って駄々《だだ》を捏ねる者が居るそうだがね。それにしても何が何だか訳がわからないもんだから、昨日《きのう》から大騒ぎをして僕の行衛《ゆくえ》を探していたところだった……という、その保安課の片山警部の話なんだ」
「まあ……それからドウなすって……」
「僕も何が何だか、わからなくなっちゃったからね。ナアニ、あの脚本はやはりお察しの通り轟さんから生前に聞いた通りの事を勧善懲悪式に脚色しただけのものなんです。それじゃ今から大森署へ行って、司法主任に会って、よく相談して来ましょ
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