上海《シャンハイ》の市街《まち》が展開している上をフウワリと白い雲が並んで行く。
 ……といったような無事平穏な朝だったがね。昭和二年頃の十月の末だったっけが……。
 足音高く船橋《ブリッジ》に登って行った俺は、その船長《おやじ》の背後《うしろ》でワザと足音高く立停まった。
「おはよう……」
 と声をかけたが渋紙面《しぶがみづら》は見向きもしない。何《なん》しろ船長仲間でも指折《ゆびおり》の変人だからね。何か一心に考えていたらしい。
 俺は右手に提げた黄色い、四角い紙包《かみづつみ》を船長の鼻の先にブラ下げてキリキリと回転さした。
「御註文の西蔵《チベット》紅茶です。やッと探し出したんです」
 船長《おやじ》はやっと吃驚《びっくり》したらしく首を縮めた。無言のまま六|尺《しゃく》豊かの長身をニューとこっちへ向けて紅茶を受取った。
「ウウ……機関長《おやかた》か……アリガト……」
 とプッスリ云った。コンナ時にニンガリともしないのがこの渋紙船長の特徴なんだ。取付《とりつ》きの悪い事なら日本一だろう。こんな男には何でも構わない。殴られたらなぐり返す覚悟でポンポン云ってしまった方が、早わかり
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