を沈めているんだそうですが、そんなに大きな船でなくとも、チョット乗った木葉船《こっぱぶね》でも間違いなく沈めるってんで、迚《とて》も凄《すご》がられているんです。早い話が房州|通《がよ》いの白鷺《しらさぎ》丸にチョイと乗組んだと思うと、直ぐに横須賀の水雷艇と衝突させる。毛唐《けとう》の重役の随伴《おとも》をしてブライトスター石油社《オイル》の超速|自働艇《モーターてい》に乗ると羽田沖で筋斗《とんぼ》返りを打たせるといった調子で、どこへ行っても泣きの涙の三りんぼう[#「三りんぼう」に傍点]扱いにされているうちに、運よく神戸でエムプレス・チャイナ号のAクラス・ボーイに紛れ込んで知らん顔をして上海まで来た。そいつを、どこかで伊那の顔を見識《みし》っていた毛唐の一等船客が発見して、あの小僧《ボーイ》と一所なら船を降りると云って騒ぎ出した。そこで今度は事務長が面喰《めんくら》って、早速小僧を逐出《おいだ》しにかかったが、小僧がなかなか降りようとしない。食堂の柱へ噛《かじ》り付いて泣き叫ぶ奴を、下級船員が寄ってたかって、拳銃《ピストル》や鉄棒《パイプ》を突付《つきつ》けてヘトヘトになるまで小突きまわして、泥棒猫でも逐《お》い出すようにして桟橋へたたき出してしまった。そこで小僧はエムプレス・チャイナの給仕服《ユニフォーム》のまま生命辛々《いのちからがら》の手提籠《バスケット》一個《ひとつ》を抱えて税関の石垣の上でワイワイ泣いているのを、チャイナ号の向い合わせに繋留《かか》っていたアラスカ丸の船長……貴下《あなた》が発見《みつけ》て拾い上げた……チャイナ号へ面当《つらあて》みたいに小僧の頭を撫《な》でて、慰め慰め拾い上げて行った……という話なんです。現在、陸上《おか》では酒場《のみや》でも税関でも海員《ふね》の奴等《やつら》が寄ると触《さわ》るとその噂《うわさ》ばっかりで持切《もちき》ってますぜ。アラスカ丸の船長《おやじ》はそんな曰《いわ》く因縁、故事来歴附の小僧だって事を、知って拾ったんだか……どうだかってんでね。非道《ひど》い奴はアラスカ丸が日本に着くまでに沈むか、沈まないかって賭《かけ》をしている奴なんか居るんですぜ」
俺は元来デリケートに出来た人間じゃない。君等《きみら》みたいな高等常識を持った記者諸君に「海上の迷信」なんて鹿爪《しかつめ》らしい、学者振った話なんか出来る柄じゃ、むろんないんだ。尤《もっと》も若いうちは不良の文学青年でバイロンの「海の詩」なんかを女学生に暗誦《あんしょう》して聞かせたりなんかして得意になっていたもんだがね。しかしそれから後《のち》、永年荒っぽい海上生活を続けて来たお蔭で性根《しょうね》が丸で変ってしまった。身体《からだ》こそこんなに貧弱な野郎だが、兇状持揃《きょうじょうもちぞろ》いの機関室でも、相当押え付けるだけの腕《うで》ッ節《ぷし》と度胸だけは口幅《くちはば》ったいが持っているつもりだ。現に船員連中《ふねじゅう》から地獄の親方と呼ばれている位だ。……けども、その俺が、この渋紙|船長《おやじ》の前に出ると、出るたんびに妙に顔負けしてしまう。いつもこうしてペラペラと安っぽく喋舌《しゃべ》らせられるから妙なんだ。しかも忠告する気で云っている話が、ツイお伽話《とぎばなし》か何ぞのようにフワフワと浮付《うわつ》いてしまう。圧《お》しの利かない事|夥《おびただ》しい。
「何も御幣《ごへい》を担ぐんじゃありませんがね。そんな篦棒《べらぼう》な話が在《あ》るかって反対もしてみたんですがね。今まであの小僧が乗った船が一艘残らず沈んだのが事実だったら、今度沈むのも事実に違いない。乗組員全体の生命《いのち》にも拘《かか》わる話だ。何もあの小僧が居なけあ船が出ねえって理窟《りくつ》もあるめえし……お前《めえ》んとこの船長《おやじ》がいくら変者《かわりもの》だってそんな無鉄砲な酔狂をして乗組員《のりくみ》を腐らせるような馬鹿《ばか》でもあんめえ。あの小僧の曰《いわ》く因縁、故事来歴を知らねえから平気で雇ったに違《ちげ》えねえんだ。悪い事《こた》あ云わねえから早く船長《おやじ》に話して、あの小僧を降してもらいな。多人数《おおぜい》の云う事《こた》あ聴いとくもんだ。あとで必定《きっと》後悔するもんだから……てな事を皆《みんな》して色々云うもんですからね……ハハハ……」
船長の表情は依然として動かない。渋紙色の仮面《マスク》が、頭の上の青空に凍り付いたように動かない。無表情もここまで来ると少々|精神異状者《きちがい》じみて来る。俺は思い切りブツカルように云った。
「今の中《うち》に降しちゃったらどうです」
船長の左の眼の下にピクピクと皺《しわ》が寄った。同時に片目を半分ほど細くして、唇の片隅を上の方へ歪《ゆが》めた。これがこ
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